しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

不思議な親近感を覚える

今日の朝日新聞一面コラム「天声人語」を読んで、

記憶に間違いがなければ、確か小学5年生の時、膀胱炎を患って、

約3週間、父が勤める会社の附属病院に入院した時のことを思い出しました。


シドニー五輪の年に生まれた娘は聖火にちなみ「せいか」。

 続く息子たちも、誕生年に開催された五輪から「亘利翔(ギリシャ)」「朱李埜(トリノ)」。

 橋本聖子さんが自著の『オリンピック魂』で命名の理由を説明している。

 父が付けた自身の名も聖火に由来する。

 幼いころ、その父から「補助輪を外しても自転車に乗れるのか」と問われ、「乗れます」とウソをつく。

 正直であれと念じた父に池へ放り込まれ、娘は反省する。翌朝、猛練習して乗ってみせた。

 意外にもずっと頑健だったわけではない。小3で腎臓を患って入院する。

 小児病棟で知り合ったのは重い病気と闘う子たち。

 「私の分まで生きてね」。亡くなった少女の言葉が、のちに政治を志すきっかけになった。‥‥。』


私は、この時の入院で、生まれて初めて、両親と離れて生活することになりました。

病院の小児病棟の同室には、腎臓病を患った年下の男の子がいました。

季節は初夏だったと記憶していますが、腎臓病や膀胱炎にはスイカが効くとのことで、

二人で一緒に、毎日のように、お見舞いのスイカを食べていたことを思い出します。


私は、その彼よりも後に入院し、先に退院しましたが、その後、二度と会うことはありませんでした。

今日のコラムを読むと、橋本新会長も、小3で腎臓を患って入院されたとか‥‥。

子供の頃に、同じような病気に罹患されたことを知り、「不思議な親近感」を覚えた次第です。