作曲家の小林亜星さんが88歳でお亡くなりになったことを受けて、
今日の日経新聞一面コラム「春秋」と愛媛新聞一面コラム「地軸」には、
それぞれ追悼のコラムが掲載されていました。
「春秋」はその全文を、「地軸」はその後半部分を、次のとおり引用させていただきます。
『腹巻きに印ばんてん、首から成田山のお守りをぶら下げた短髪の巨体が、突然キレて暴れ出す。
戦前の陸軍大将と海軍大将から姓名をとったというテレビドラマ「寺内貫太郎一家」は
役者としての小林亜星さんをお茶の間に強烈に印象づけた。1974年の放送である。
訃報を機に生涯を振り返れば、実は、この時「祖業」の音楽では、すでに第一人者だった。
日立グループの「この木なんの木」や、日本生命のCMソングの作曲を手がけ、
長く歌い継がれたのはご存じの通り。
「魔法使いサリー」などアニメの主題歌や大ヒットした演歌「北の宿から」など
6千を超える作品を世に送った。
自ら「焼け跡世代」と称している。
マルチな才人の原点は「みんなをハッピーにしたい」との願いにあったのかもしれない。
旋律はどれも親しみやすく、気づけば口ずさんでいるといった感じである。
だが、家族や友人が同じ画面や歌にともに心を躍らせた世は過ぎ去った。
小林さんも潮流の変化を感じとっていたらしい。
2年前のあるインタビューでこんなふうに言っていた。
「流行を作り出すのが音楽に携わる人の使命だったと思うんです。
でも大衆はそれを望んでいないんだなと」。
ちゃぶ台の前で少し肩を落とす貫太郎を見るようだが、すぐ続けている。
「それができる人がいたら次世代を担う作曲家です」。バトンは誰が継ぐだろう。』
『‥‥作曲のこつは難しく考えすぎないことらしい。
風呂やハイキング中、「自然に今まで聞いたこともない鼻歌を歌っていることがあるでしょう。
それが作曲ということなんですよ」(「作曲のしかた」)。
人まねではなく、個性を磨いた曲作りを後進にも求めた。
誰もが口ずさめる流行歌が減っていることを憂いていたという。
メロディーメーカーの自負を宿した名曲の数々、聞き直してみたい。』
はぃ、そうですね‥‥。それぞれのコラムに書かれている「気づけば口ずさんでいる」歌や、
「誰もが口ずさめる流行歌」は、もうこれからは現れることはないのでしょうか?
「家族や友人が同じ画面や歌にともに心を躍らせた世は過ぎ去った」という「春秋」の記述には、
昭和という時代の、楽しかった家庭団らんのひと時を思い出し、目頭が熱くなりました。
そういえば、「寺内貫太郎一家」に出演された、加藤治子さん、樹木希林さん、西城秀樹さん、
そして、脚本家の向田邦子さん、プロデューサーの久世光彦さんは、もうこの世には存在しません。
私にとっての「ともに心を躍らせた世」は、当時の歌や人とともに、遠く過ぎ去っていきます。
たくさんの思い出も一緒にして‥‥。