しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「老い」という冒険

NHKテレビテキスト、100分de名著『老い~ボーヴォワール』を読了しました。

テキストの執筆者は、社会学者で東京大学名誉教授の上野千鶴子さんです。

印象深い記述が多かったテキストの中で、どうしても一つ挙げるとすれば、

「老いという冒険」の章の、ボーヴォワールの次の言葉でしょうか‥。


『世のすべての人びとと同じように私は無限を想定することができないが、

 しかし有限性を受諾しない。

 私は、そのなかに私の人生が刻みこまれているこの人類の冒険が無限につづくことを必要とする。

 私は若い人びとが好きだ。私は彼らのなかにわれわれの種〔人格〕が継続すること、

 そして人類がよりよい時代をもつことを望む。この希望がなければ、私がそれに向かって進んでいる老いは、

 私にはまったく耐えがたいものと思われるだろう。』


そして、このボーヴォワールの言葉についての上野先生の次のような解説も、胸を打つものがありました。

『「そのなかに私の人生が刻み込まれているこの人類の冒険」、

 そこには「老いる」という冒険も含まれています。

 バーバラ・マクドナルドが、高齢者だって

 「七十歳、八十歳、九十歳がどんなものか発見する過程にいる」(「私の目を見て」)と言ったように、

 老人たちは老いという新しい冒険に乗り出しているのです。それは、認知症になることを含めて、です。

 だから、生きていていいのです。役に立たないからと厄介者扱いするのではなく、

 役に立てないと絶望するのでもなく、わたしたちは老いを老いとして引き受ければいい。

 それを阻もうとする規範、抑圧、価値観がなんであるかを、

 ボーヴォワールの「老い」はわたしたちに示してくれます。』


はぃ‥、ということは、65歳の私も、「老いという冒険」の真っただ中にいるということですね。

そういえば、この日記のタイトルは「しんちゃんの老いじたく日記」‥‥。

「老いじたく」の時期は、空しく過ぎ去ったような気がするので、

そろそろ正々堂々(?)と、「しんちゃんの老いの冒険日記」に変更しようかしら‥‥。(苦笑)