危機が間近に迫ってきました‥‥。
愛媛県は今日、新たに237人が新型コロナウイルスに感染したと発表しました。
今月14日発表の220人を上回り、過去最多となった模様です。
私が住んでいる松前町でも、警察学校でクラスターが発生したそうで、
さらに、小学四年生の孫娘が通う松山市の小学校は、今日は臨時休校となりました。
そんななか、日経新聞電子版を閲覧していると、
『養老孟司、コロナ禍に見た現代人のちぐはぐさ』」というタイトルの記事に目が留まりました。
そこでは、次のようなことが書かれていました。
『‥‥コロナ禍は「現代人の人生に関する根源的な問いを、いくつか浮かび上がらせた」とみている。
21年12月の新刊「ヒトの壁」(新潮新書)では、
テレビ画面でさして疑問もなく並んで映し出されるコロナウイルスの
電子顕微鏡写真と人体の対比に注目した。この2つ、実際には大きさがまったく違う。
極小のウイルスを見る精度でヒトの細胞、個人、社会を見ようとしたらどうなるか。
「細胞ですら大き過ぎて、情報処理が完全にはできない」。
そこに「現代人の盲点」が隠されていると考察する。
細部を科学的に見ようとすればその分、全体は膨張する。これを「部分を見れば全体はボケる」と表現する。
それぞれ目線が違う専門家や官僚、政治家らが集まって議論するコロナ対策の、
ちぐはぐさの一端がそこに見いだせる。
コロナ禍では日々発表される感染者数などの統計数字が「事実」として認識されている。
こうした現代人の認識も「いわば神様目線である」と疑問を呈す。
かねて「死は二人称でしかない」と述べてきた。
一人称の「私」が死んでも、死んだ時には「私」はいない。
三人称は「誰かの死」であって、ヒトの感情は動かない。
二人称の「知っている人の死」だけが確実にヒトに影響を与える。
「数字は、本来は抽象的だ。僕の周りでコロナになった人はいなかった。
数字は自分の目で確認した『事実』ではない」と話す。‥‥』
う~む、なるほど‥‥。
「部分を見れば全体はボケる」、「現代人の認識は、いわば神様目線」、
「数字は自分の目で確認した事実ではない」ですか‥。
目からウロコの鋭いご指摘です。
「読みたい本」がまた一冊増えました。