『モンテーニュ~人生を旅するための7章』 (宮下志朗著:岩波新書)を読了しました。
世界文学の古典、モンテーニュの「エセー」は、著者の翻訳で全7巻、
注・略年譜なども含めると2400ページにも及ぶということなので、まずはその入門書として購入しました。
読み終えると付箋だらけになっていましたが、
そのなかで、書物や病気、老いや死などに関しての、私のお気に入りの記述をいくつか書き残しておきます。
『書物との交わりは、わたしの人生航路において、いつでも脇に控えていて、どこにでも付いてきてくれる。
老年にあっても、孤独にあっても、わたしを慰めてくれる。
なんともやるせない徒然の日々の重苦しさを取り除いてくれるし、
うんざりする仲間からだって、いつでも解放してくれる。‥‥
‥‥書物が自分のかたわらにあって、好きなときに楽しみを与えてくれるのだと考えたり、
あるいは、書物がどれほどわが人生の救いになっているのかを認識したりすることで、
どれほどわたしの心が安らぎ、落ち着くのか、とても言葉では言い表せないほどだ。
これこそは、わが人生という旅路で見出した、最高の備えにほかならない。
だから、知性がありながら、書物を欠いている人が、大変に気の毒でならない。』
(2-2 書物、人生という旅路の最高の備え)
『病気には、きちんと通り道を開けてやらないといけない。
わたしなどは、むしろ病気に好き勝手にさせているから、
病気のほうでも長居は無用ということにしてくれるのだと思う。
‥‥少しばかりは、自然のなすがままにさせておこうではないか。
自然は、その仕事を、われわれよりわかっているのだから。
‥‥痛風も、結石も、人生航路が長いことのあかしにほかならない。
そうした長旅には、雨風や炎暑はつきものではないか。』(6-3 病気には道を開けてやれ)
『神様から、生命を少しずつ差し引かれている人間は、主の恵みに浴しているのであって、
これこそ、老年を迎えての、唯一の恩恵ではないのか。
最期の死が訪れても、その死は、それだけ希薄にして、苦痛も少ないものと思われる。‥‥』
(6-4 老いること、死ぬこと)
なお、このほかにも、次のような名言が紹介されていました。
「われわれは死ぬことを心配するせいで、生きることを乱しているし、
生きることを心配するせいで、死ぬことを乱している」
「人間はだれでも、人間としての存在の完全なかたちを備えている」
「わたしはまったく自由だ。どこにいても、わたしはわたしのものだ。
わたしは仕事に自分を譲り渡すのではなく、自分を貸すだけなのだ」
「われわれはやはり、自分のお尻の上に座るしかない」
老いとは「顔よりも、精神に、たくさんの皺(しわ)をつける」こと
う~む‥‥。どうやら「エセー」は名言の宝庫のようです。
全文読破は難しいかもしれないけれど、手元に常備しておく価値はあるのかもしれません。