昨日の日経新聞オピニオン欄、「コロナ禍巡る専門知の死角 責任負うのは政治の役割」という論評が、
とても勉強になりました。記事には次のようなことが書かれていました。
文明が深化した現代社会は予期せぬリスクに直面する。先行きが見通せない暗闇に光をともすのが、
専門家というその道のプロが積み上げてきた「専門知」だろう。
ただ、もっぱら学術の世界で進展してきたため、
その特質を政治や社会がきちんと理解しないまま頼りすぎてしまうと、しっぺ返しをくらう。
かつてスペインの哲学者オルテガは「大衆の反逆」(1930年刊行)で知の死角を論評した。
科学者だって自分の専門領域以外では素人である。なのにそれを自覚せず、聞く耳を持たない。
複雑な事象に対し特定の専門分野だけで絶対的な正しさをつかもうとする――と。
90年以上たっても色あせない戒めといえよう。』
『次なるパンデミックは必ず来る。リスク評価と管理が曖昧で、意思決定の過程が外からよく見えない、
属人的な日本のコロナ対応は危うい。専門家は選択肢の提示にとどめる。
そこから何を選ぶかこそ政治家の責務といえる。科学と政治の役割を明確に分け、
危機を乗り越える知の活用術を一層磨く時ではないか。』
『この2年半、日本のコロナ対策は誰がどこで何を決めているかがよくみえなかった。
専門家もどういう立場で情報発信しているかあいまいで、社会に不安を生む一因になった。
他の主要国に比べ直接的被害が小さく済んだというが、
持続性かつ再現性のないやり方は早急に改めないといけない。』
う~む、なるほど‥‥。
「複雑な事象に対し特定の専門分野だけで絶対的な正しさをつかもうとする」ところに、
「知の死角」があるのですね。
なお、記事によると、「どうやら岸田文雄政権は専門家と距離をとりながら、リスク評価は科学者、
そしてリスク管理は政治家という役割分担を明確にしようとしている」とのことでした。
最近、専門家の方々が目立たなくなったではと、うすうす感じていたのは、そういうことだったのですね‥。
ちなみに、記事中の「知」に関しての図表がたいへん分かりやすかったです。
これで様々な「知」があることが理解できました。
・専門知 それぞれの分野の専門家が蓄積した知識
・集合知 多くの人から情報・判断を集めて導き出す知識
・統合知 問題解決へ学術分野を横断的に統合して生み出す知識