文藝春秋新年特大号の「続100年後まで読み継ぎたい100冊」で、
文芸ジャーナリストの佐久間文子さんと外交ジャーナリストで作家の手嶋龍一さんのお二人が、
この本を紹介されていたのが購読の動機でした。
本書については、最後まで読んで、
冒頭部分にヨハネの黙示録の次の言葉が掲載されていることが、漠然とですが理解できたように思います。
『‥‥われなんじの行為(おこない)を知る、なんじは冷ややかにもあらず熱きにもあらず、
われはむしろなんじが冷ややかならんか、熱からんかを願う。』
ただ、当時を振り返ると、開高健については、
「白いページ」や「開口閉口」などの随筆ばかりで、小説は読んだことがありませんでした。
そういえば、「白いページ」には、「続・読む」というタイトルの随筆のなかに、
次のようなことが書かれていした。
『‥‥つぎに本は、読むまえに、見るものである。
パラパラと頁を繰ったときに字の行列ぐあいを一瞥すると、かなりのことが見えるのである。
つまり、頁は画でもあるのだ。それが読む前にちょっと見えるようでないといけない。‥‥』
『‥‥いずれにせよ、何かがまざまざと目撃されるような本でないといけないのである。
本は読まなくても何かが見え、読んでも何かが見える。見える本であること。そこである。』
はぃ、雑誌で有識者の方が紹介しているという、きわめて単純な動機で本書を購読した私を、
なんだか叱っているような文章です‥。
でも、豊饒な言葉や感性豊かな文章の数々に再び出合えて、よかったと思っています‥‥。