しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「矜持」を感じさせる一冊

朝目が覚めると雨が降っていました。

久しぶりの雨で、草木にとっては恵みの雨になったように思います‥。


さて、『文にあたる』(牟田都子著:亜紀書房)を読了しました。

10月9日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」で、

校正者である牟田さんの「ことば」と、鷲田さんの「解説」を読んだのが購読のきっかけでした。


著者は、本書の「おわりに」で、批評家・随筆家の若松英輔さんの本を読むようになってから、

「本を作ることのゴールは物体として完成したときではなく、読者の手に渡ったときではないか」

と考えるようになったとして、さらに次のように述べられていました。


『本を読む、というときの「読む」はかならずしも通読を意味しません。

 書店や図書館に並ぶ無数の本の中から一冊の本に目がとまる。

 本から発されているなにかにつき動かされるように手を伸ばすその瞬間、

 人はすでに本を「読んでいる」といえるのではないでしょうか。』


そうであるならば、私は「折々のことば」を読んだその瞬間から、この本を「読み始めた」のかもしれません。

そして、本書で牟田さんが紹介した若松さんは、本書の書評を愛媛新聞「読書」欄に寄稿されていて、

そのなかでは、次のようなことを述べられていました。


『‥‥本書にはしばしば「信頼」という言葉が用いられる。

 著者が考える校正とは、記された言葉を、あるいは書物を、

 限りなく信頼に足るものに近づけようとする仕事だともいえる。

 そして、著者にとっての信頼とは、著者の未知なる読者に開かれていくことを意味する。

 「本はかならずしも意図したように読まれるとは限らない。

 誰かにとっては無数の本の中の一冊にすぎないとしても、誰かにとってはかけがえのない一冊」であると

 著者はつづる。誰かにとっての人生の一冊足り得る可能性を育むこと、

 ここに校正の本質があるというのである。‥‥』


本を愛し、「校正」という仕事に真摯に取り組む著者の、「矜持」というものを感じさせる一冊です‥‥。