昨日の続きです‥。
4月24日(月)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、天野祐吉の
「「わからない」ということを恐れすぎてはいけない。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『「わからない」というのはけっして否定的なことではない。
「わからない」は、凝り固まった思考法を解(ほど)き、もっと見晴らしのよい場所に立つ機縁となる。
新しい空気を吸えるまでの潜水だ。ぐずぐずしていてよいのである。
というか、ああでもないこうではないと思い迷う権利が私たちにはある。
編集者・コラムニストの没後に編まれた文集「広告の味方 ものの見方」から。』
う~む、なるほど‥‥。「わからない」は、「新しい空気を吸えるまでの潜水」ですか‥。
世の中、わからないことだらけの私にとっては、福音の「ことば」です。
ただ、ずっと潜水したままではダメですよね‥。心したいと思います‥‥。
追記