しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

書を家とせずして友とすべし

昨日の続きです‥。

4月26日(水)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、鶴見太郎さんの

「熱中した会話ほど、実は記憶に残らない。」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『中身が消えても、楽しかった、面白かったという記憶はしっかり残る。

 専門とか上下関係を超えて、誰からともなく新しい発想が立ち上がる。

 それを惜しげもなくみなで共有するのが心地いい。

 ここに本を読むのとは異なる思想の形が潜んでいると、日本近代現代史研究者は言う。

 互いに「誠実」でいられたら、訥弁や外しも快い記憶に不可欠な要素となる。「座談の思想」から。』


う~む、なるほど‥‥。「熱中した会話ほど、実は記憶に残らない。」ですか‥。

そんなこと考えたこともなかったですが、確かに、会話の中身は覚えていなくても、

楽しかったという記憶はいつまで消え失せないものがありますよね‥‥。


さて、4月25日(火)の同紙一面コラム「天声人語」は、植物学者・牧野富太郎に関する内容でしたが、

そこには次のような興味深い記述がありました。


『‥‥20歳のころに、人生の心得15ヶ条を記している。

 その一つが〈書籍の博覧を要す〉。植物に関する本は、ケチケチせずに手に入れて読むべしとの意を込めた。

 同時に〈書を家とせずして友とすべし〉とも書いている。本の内容を妄信してはならない、と。‥‥

 ‥‥小学校も退学し、独学で歩んだ人ゆえだろう。

 貪欲に活字を吸収しながら、野山で目にした実際の草花の姿を大切にする。

 知識と体験の双方を土台に新しい世界を切り開く。学ぶとは、かくありたいものだ。

 きのうは牧野の誕生日にちなんだ「植物学の日」だ。

 自らを「草木の精」と称した牧野は、山をなす書籍の一つひとつに挑み、登り詰めた。

 孤高の山の頂に咲く一輪の花を思う。』


はぃ、「孤高の山の頂に咲く一輪の花を思う。」という最後のフレーズが、

コラム全体の格調を高めていると思います。

そして、〈書を家とせずして友とすべし〉という名言も、忘れずにメモして残しておきたいと思います。