今日は町立図書館に行って、5月7日(日)から5月13日(土)までの
朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。
この一週間で印象に残ったのは、5月7日(日)と5月10日(水)の「ことば」でした。
まず、5月7日(日)は、俵万智さんの
「七色の紫陽花(あじさい)の咲くこの国の大切な人、きみと君とキミ」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『多様性という考えは大事だが、多様性という言葉は危うくもある。たとえばLGBT。
しばしば多様性のシンボルのごとくに語られる。
「多様性という言葉でさえ、何かをひとまとめにしようとする」と、歌人は言う。
「きみ」と呼びあう二人称の存在にも、さまざまなニュアンス、
〈虹〉のように繊細で鮮やかなグラデーションがある。エッセー集「青の国、うたの国」から。』
う~む、なるほど‥‥。「きみと君とキミ」ですか‥。
たった7文字に、ものすごく深い意味が込められていますよね。
「短歌の力」というか、「ことばの力」というものを感じました‥‥。
追記
同じ日の一面コラム「天声人語」の冒頭には、次のようなことが書かれていました。
『右から左へ。黒から白に。
がらりと180度、正反対に変化するというのは、ひとにとって案外と易しいものではないか。
心理学者の河合隼雄氏が随筆集『こころの処方箋(せん)』で書いている。
難しいのはほんの少しだけ変わることだと。‥‥』
はぃ、このコラムを読んでから、
ひさしぶにり『こころの処方箋』(新潮社)を開くと、次のようなことが書かれていました。
『‥‥このような現象をイメージで表現するなら、
風見鶏でときどき何かの加減でクルッと回転して反対向きになるのと似ているのではなかろうか。
風が吹いているとき、それに抗して20度、30度の方向に向くよりも、
180度変わってしまうと楽なのである。つまり、何らかの方向づけの力がはたらいているとき、
逆転してしまう方が、少し変えるよりはまだやりやすいのであろう。‥‥』
360度変わったとしても、元の自分ではなく、違う自分がいるのかもしれません‥‥。