昨日の続きです‥。
3月1日(水)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、ハンナ・アーレントの
「共通世界は、それがわずか一つの位相のもとで見られるとき、消失する。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『「共通世界がそもそも存在するのは、その遠近法が多様である場合だけだから」と続く。
世界は、相互に隔離された〈私〉の視点や、社会の画一的な視点からしか見られなくなると、
バラバラになって崩壊すると、哲学者は言う。
世界を支えるこれら複数の視点には、もちろん同時代の人のみならず、過去に生きた人、
後にやって来る人も含まれる。「活動的生」(森一郎訳)から。』
う~む、なるほど‥‥。共通世界が存在するためには、「複数の視点」が必要なのですね。
しかも、その複数の視点には「過去や未来の人も含まれる」というのが、
哲学者特有の思考ではないかなと感じました‥‥。
そして、同じ日の一面コラム「天声人語」は、「卒業」と「ユーミン」に関連した次のような内容でした。
『ユーミンは名曲「卒業写真」で歌った。
〈人ごみに流されて 変わってゆく私を/あなたはときどき 遠くでしかって〉。
あなたとは誰だろう。かつては憧れの異性のことだと思って聴いた。でも、いまは、18歳の自分だと思う。
変だろうか。 ~ (中略) ~
ユーミンが歌ったように、ひとは変わる。卒業して、大人になって。
でも、コロナ下での学園生活と悩んだ18歳の自分は消えない。
〈あの頃の生き方を あなたは忘れないで〉。すべての卒業生に、祝福を。』
いえいえ、決して変ではありません‥。
「あなた」が「18歳の自分」というのは、とても説得力のある視点だと思います。
そう思ってこの名曲を聴くと、さらに歌詞の魅力が増すような気がします‥。
これも「複数の視点」なのでしょうか‥‥?