公民館の役員行事として、昨晩は町政懇談会に、そして今朝は氏神神社の清掃に参加しました。
これらの諸活動を通じて、ようやく諸先輩方の顔と名前が一致するようになりました。
さて、古本屋で手に入れた「男子の本懐」(城山三郎著:新潮文庫)を読了しました。
昭和5年1月に断行された金解禁を遂行した浜口雄幸と井上準之助の、「信念の政治家の物語」です。
たくさんの心に沁みる記述がありましたが、あえてその中から二つを挙げるとすれば、
まずは、浜口が後年、左遷の日々に耐えた頃の自分の姿を思い浮かべるように語ったという、次の言葉です。
『人生は込み合う汽車の切符を買うため、大勢の人々と一緒に、
窓口に列を作って立っているようなものである。
中々自分の番が来ない。時間が迫って来て気は急(あ)せりだす。
隣の方が空いていそうに見えるので飛び出してみたくなる。
しかし一度自分の列を離れたが最後、あっちこっちと徘徊(さまよ)ってみても、そこにもまた順番がある。
しまったと気が付いて元の列に立ち戻って来れば、自分の前に居た場所は、已に他人に占領されていて、
遥か後ろに廻らなければならない。結局急いだ為に却って後れることになる。』
もう一つは、読書論についての、井上の次の言葉です。
『常識を養うのに読書の必要はないかもしれぬ。
そしてまた日常の事務を処理して行くのにも読書の必要はない。
しかし、人をリードして行くには、どうしても読書しなければならぬ。』
おっと、忘れいてました‥。本書の解説にも次のような記述がありました。
『金解禁に殉じた浜口、井上の友情と苦闘を鮮やかに描いたこの名作は、
半世紀前の歴史の教訓によって現代政治を告発した、批判の書にもなっているのである。』
本書の題名にもなった浜口の
『すでに決死だから、途中、何事か起こって中道で斃れるようなことがあっても、
もとより男子として本懐である。』という言葉を読みながら、
同じように凶弾に倒れた、亡き安倍元首相のことが頭に浮かんだことも、付言しておきます‥‥。