しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

一つ賢くなりました

昨日は二十四節気立秋」の節入り日でした。

暦の上では「秋」とはいえ、暑さはまさにこれからが本番です。

暑さで寝苦しい夜が続き、寝不足気味の私にとって、数少ない活力源は、阪神タイガースの躍進です‥。


さて今日は、雨合羽を着て、バイクで町立図書館に行き、7月30日(日)から8月5日(土)までの

朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。

この一週間で印象に残ったのは、8月2日(水)と8月4日(金)の「ことば」でした。


まず、8月2日(水)は、ジョン・ステュアート・ミル

「悪人が自分の目的を遂げるのに、

善人が袖手(しゅうしゅ)傍観していてくれるほど好都合なことはないのです。」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『道義に反する事態を前にして、自分はじかに関わっていないから、

 格別の意見を持ち合わせないからという理由で、表だった抗議もせずそれを黙認するのは、

 当の事態の助長に寄与することだと、19世紀英国の哲学者は言う。

 事態の歴史的脈略を考慮し、己の眼で判断する訓練こそ教育の目的だと。

 「大学教育について」(竹内誠訳)から。』


う~む、なるほど‥‥。「事態の歴史的脈略を考慮し、己の眼で判断する訓練こそ教育の目的」ですか‥。

憶えておきたいセンテンスです。

そして、「袖手(しゅうしゅ)傍観」という四字熟語も初めて知りました。

「懐手(ふところで)」という言葉もあるのですね‥。一つ賢くなった気がします‥‥。