今日も猛烈な暑さとなりました。
あまりの暑さに、エアコンの利きも思わしくないなか、
先日友人からもらったジャガイモを材料に、汗だくになりながらポテトサラダを作りました。
さて、昨日の続きです‥。
8月4日(金)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、ウンベルト・ガリンベルティの
「吝嗇家(りんしょくか)……の目には金(かね)が何か他のものを得るための手段ではなく目的そのもの、
否、権力の純粋な形と映る」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『金があるとは、買おうと思えば何でも買える力があること、そういう「可能性」を手にしていることだと、
現代イタリアの思想家・精神分析学者は言う。つまり、それを使うとその「可能性」をなくす。
だからいつまでも使えない。使えずに目減りする心配ばかりしているほかないのだと。
「七つの大罪と新しい悪徳」(多木陽介訳)から。』
う~む、なるほど‥‥。
金があるとは、「可能性」を手にしていることなのですか‥。
先日の期待外れのお金の本より、よほどお金に執着する心理をついた、鷲田さんの価値ある解説だと思います。
大いに納得しました‥‥。