一昨日の9日夕から昨日10日朝にかけ、松山は30度を下回らない「超熱帯夜」だったそうです。
今日の愛媛新聞一面コラム「地軸」に、そのように書いてありました。
あまりの暑さに何度も目が覚めたのは、と゜うやら私だけではなかったようです‥。
さて、以前から読んでみたかった『あの戦争から遠く離れて~私につながる歴史をたどる旅』
(城戸久枝著:文春文庫)を古本屋で見つけ、このたびようやく読了しました。
印象に残る記述がいくつもありましたが、そのうちの一つは、
エピローグのところで、筆者がその父とともに祖父母の墓参りに訪れる、
四国最西端の佐田岬の付け根部分に位置する愛媛県八幡浜市の風景の記述です。
『墓のある場所からは港の景色が一望できる。麓に向かってみかんの段々畑が続き、
山裾には父の実家のある集落の屋根が連なっている。
屋根の連なりは海岸線のカーブに沿って湾奥の漁港まで続き、深くくすんだ緑色の海を挟んだ対岸には
小さな岬に緑の山々が見える。静寂のなかでどこからともなくウグイスの鳴く声が聞こえ、
港に浮かぶ小型船のエンジン音が続く。‥‥』
八幡浜市に3年間住んだことがある私には、この風景の描写がよく理解できます。
また、この風景の描写は、私の母の故郷、伊予市双海町の先祖の墓地の風景と重なるものがありました。
そして、本書の中で著者が最も訴えたかった記述の一つとして、私は次の一節を挙げたいと思います。
『本来世代を超えて語り継がれてしかるべき大切なことが沈黙の中で失われていき、
弱者への想像力が希薄化していくこの時代、だからこそ私は、あの戦争に端を発する父の物語を、
もうひとつの「戦後史」として記録しておきたかった。
戦争のないことが当たり前に感じられる「現在(いま)」、
それが当たり前でなかった時代があったことを忘れないために。
戦争の時代を必死に生きながら、多くを語ることなく亡くなった祖父母のーー
そして国を超え父を我が子として愛し慈しみ育てた中国の祖父母のーー声なき声を、私の胸に刻むために。』
「当たり前のこと」は、決して「当たり前でない」ことを教えてくれる、「労作・力作」だと思います‥‥。
追記
女子サッカーW杯でなでしこジャパンは、強豪スウェーデンを相手に「1」対「2」で惜敗しました。
敗れはしましたが、堂々の戦いぶりで、その実力を世界に示してくれました。