台風7号が日本海に去った後、こちらは猛暑が戻ってきました。
空を見上げると、入道雲がもくもくと湧き上がっていました‥。
夕刻、松前町に雨雲が近づいているとの天気予報があったので、早めに送り火を焚きました。
ご先祖様、これからも私たちをお守りください‥‥。
さて今日は、町立図書館に行って、8月6日(日)から8月12日(土)までの
朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。
この一週間で印象に残ったのは、8月11日(金)と8月12日(土)の「ことば」でした。
まず、8月11日(金)は、佐橋滋さんの
「なにもしないことはなにもしないのではなくて、悪いことをしているのだ」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『役人はそう観念すべきだと元通産官僚は書く。
「無難」「大過なく」というのは、すべきことをして批判を浴びたり、
責任を取らされたりするよりもマイナス点を稼がないようにするという保身術。
これがトコロテン式人事を生んだ。消防士は火の粉を被っても現場に飛び込んで行く。
役人の職責もこれと同じだと。誰も何もしなければ国は潰れる。回想記「異色官僚」から。』
う~む‥‥。(沈黙)
「消防士は火の粉を被っても現場に飛び込んで行く。役人の職責もこれと同じ」ですか‥。
地方公務員生活を振り返ると、私にはそのような覚悟はありませんでした。(反省)
それはそうと、8月12日(土)の同紙「読書」欄を読んでいると、
『未完の天才 南方熊楠』(志村真幸著:講談社現代新書)についての、美術家・横尾忠則さんの書評が、
逆さまになっていました。これって印刷ミス?それとも意図的に逆さまにしているの?
ちなみに、書評には次のようなことが書かれていました。
『‥‥私は私のすべての作品を未完と定めている。
つまり現世での完成はあり得ず、輪廻転生からの離脱の時に、未完の魂は天地逆転するものである。
したがって現世では大方の魂は未完でいいのではないだろうか。
それを確認した熊楠は、あえて未完こそ完成の進行形であると、
わが魂に印象づけて、この現世を去ったのである。』
やはり、「天地逆転の紙面」なのかな‥‥?