随分と久しぶりに松前公園を散歩しました。全長600mを2周。
僅かな距離だけれど、気分転換になりました‥。
さて、古書店で手に入れた『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
(ブレイディみかこ著:新潮社)を読了しました。
本書には、次のような印象に残る「会話」や「記述」が盛りだくさんでした。
・「自分たちが正しいと集団で思い込むと、人間はクレージーになるからね」(母ちゃん)
・「楽ばっかりしてると、無知になるから」(母ちゃん)
・『分断とは、そのどれか一つを他者の身にまとわせ、自分の法が上にいるのだと思える
アイデンティティを選んで身にまとうときに起こるのかもしれない、と思った。』
・『他人の靴を履いてみる努力を人間にさせるもの。そのひとふんばりをさせる原動力。
それこそが善意、いや善意に近い何かではないのかな、と考えていると息子が言った。』
・『現実問題として政府があまりに小さくなると、「恵まれない人に同情するならあなたがお金を出しなさい。
そうしないのなら見捨てて、そのことに対する罪悪感とともに生きていきなさい」みたいな、
福祉までもが自己責任で各自それぞれやりなさいという状況になるのだ。』
・『子どもたちには「こうでなくちゃいけない」の鋳型がなかった。男と女、夫婦、親子、家族。
「この形がふつう」とか「これはおかしい」の概念や、もっと言えば、「この形は自分は嫌いだ」
みたいな好き嫌いの嗜好性さえなかった。そうしたものは、成長するとともに何処からか
影響が入ってきて形成されるものであり、小さな子どもにはそんなものはない。
あるものを、あるがままに受容する。幼児は善のこころを持つアナキストだ。』
ジェンダー、LGBTQ、格差、貧困、人種差別、アイデンティティ、EU離脱、小さな政府‥‥etc
一冊でいろんなことが学べ、しかも考えさせられる、なかなかの「良書」だと思います‥‥。