昨日の続きです‥。
5月17日(金)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、多田富雄さんの
「迷惑をかけたり、かけられたりしながら、濃厚で味わい深い人間関係が作られてきたのだ。」
という「ことば」で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『幼い頃から人に迷惑をかけるなと教えられてきたが、歳がいってまっ先に甦るのは、
とんでもない不注意や失敗で迷惑をかけあった経験ばかりだと、免疫学者は言う。
師弟や友人、家族の間でも、迷惑をかけあう中で関係が濃くなる。
迷惑をかけないよう気を配るばかりの付き合いはなんとも「味気がない」と。随想集「独酌余滴」から。』
う~む、まいったな‥‥。
私の場合は、「まっ先に甦るのは、とんでもない不注意や失敗で迷惑をかけあった経験ばかり」ではなく、
「とんでもない不注意や失敗で迷惑をかけた経験ばかり」なのです。
最近、夢に出てくるのは、そういう不注意や失敗で、周囲の人に迷惑をかけた昔の私ばかり‥。
一方で、迷惑をかけられたことは、ほとんど思い浮かぶ出来事がありません。
だから「濃厚で味わい深い人間関係」が築けないのかしら? 考え込んでしまいました‥‥。