昨日の続きです‥。
6月26日(水)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、池内紀〈おさむ〉さんの
「ほかに心を満たすことがあって、世才にまでまわらない。だからこそ世に隠れた。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『秀でた才能や技量を有するも、ついに居るべき場所を得ずに終わった人たちがいる。
貧しかったり、「中央」に出そびれたり、世間に阿(おもね)るのをよしとしなかったり。
学級に、優等生ではないけれど、美術や体育、弁当の早食いなら輝きを放つ生徒がいるように、
時代の寵児(スター)の背後にも、負けず劣らずの才人がいたと、独文学者は言う。
「二列目の人生、隠れた異才たち」から。』
この「ことば」とその「解説」を読んで、「菜根譚」(洪自誠著)の「前集一」を思い出しました。
『道徳に棲守(せいしゅ)する者は、一時(いちじ)に寂寞(せきばく)たり。
権勢に依阿(いあ)する者は、万古に凄涼(せいりょう)たり。
達人は物外の物(ぶつ)を観(み)、身後の身(しん)を思う。
寧(むし)ろ一時の寂寞を受くるも、万古の棲涼を取ることなかれ』
「中国古典百言百話1菜根譚」(PHP文庫)で、著者の吉田豊さんは、次のように解説されています。
『‥‥真に価値ある人生をめざすならば、少数者となることを恐れてはならない。
流行に乗った追随者たちは世の中の好みが変わればたちまち忘れられる。
それに反して、生涯を不遇のうちに終わっても、今なお敬慕の的となっている先覚者の数も少なくない。
私たちの周囲にも、在職中は煙たがられて出世は遅れていたが、今となって思うと、
その人に教えられたことが一番大きかったと感謝する先輩が何人かいるのではないだろうか。』
「二列目の人生」‥‥。
「世間的には恵まれない立場にありながら、なんとかして人間として恥ずかしくない生き方をしたいと
願っている大多数の人びと」にとって、励みになる言葉だと思います‥‥。