久しぶりに雨が降りました。と言っても、お湿り程度の雨でしたが‥‥。
さて、昨日の続きです。
昨年12月31日(土)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、品田遊さんの
「「わかる」と言ってくれる人ほど敵だった。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『ニュースに「許せない」と憤り、猫を見て「ほっこり」し、英雄譚(たん)に「スカッと」する。
ひとの感情は「出力そのものにあらかじめ反応が織り込まれている」と作家は言う。
ちょっとしたモヤモヤもすぐにみなと同じリズムに乗せられる。
そんな滑かさが嫌で、一日の終わりに「淀み」を残すために日記をつけていると。
「キリンに雷が落ちてどうする 少し考える日々」から。』
う~む、なるほど‥‥。「一日の終わりに「淀み」を残すために日記をつけている」ですか‥。
そんなものなのかな? いったいどんな内容の日記なのかしら?
私が書くこの日記にも、出力した言葉に感情という反応が織り込まれているのかしら?
「?」が三つもあった、2022年大晦日の「折々のことば」でした‥‥。