しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

秀逸なコラムに出合う喜び

朝日新聞の一面コラム「天声人語」を、

朝日新聞デジタルselect on Yahoo!ニュース」で毎日欠かさず読んでいると、

心の琴線に触れる文章のコラムに出合うことがあります。

阪神・淡路大震災から23年目となった今日の「天声人語」が、

まさにそのようなコラムだと思ったので、この日記に全文を書き残しておこうと思います。


『「がれきの街で生まれた奇跡の赤ちゃん」。

 神戸市の会社員中村翼(つばさ)さんは23年前、阪神・淡路大震災の当日に生まれた。

 成長する姿をテレビが追い、小学生になるとプロ野球の始球式に招かれた。

 「思春期にはそれが負担で悩んだ。何千人も亡くなった日に僕は単に生まれただけ。

 何もやり遂げていない。誕生日を隠すようになりました」。

 大学で防災教育を学び、心境が変わる。

 東北の被災地でボランティアをし、仮設住宅の人々と話をした。

 両親に生まれた日のことを尋ねたのはその後である。

 揺れた瞬間、父が母に覆いかぶさったこと。火の手が見え、家を出たこと。

 避難先の小学校で破水したこと。見ず知らずの女性が車で休ませてくれたこと。

 病院へ向かう道が渋滞し、警官に頼み込んで車線の脇を誘導してもらったこと。

 4時間かかってたどり着いた病院が停電していたこと。

 父の懐中電灯に照らされて生まれたこと。倒壊の恐れから病院を出たこと。

 深夜まで産湯を使えなかったこと‥‥。自分が生きているのはまさに奇跡だと思った。

 先週、神戸市内の小学校で中村さんの講演を聴いた。

 震災を伝える「語り部KOBE1995」に加わって初めての活動だ。

 黒煙を上げる神戸の街並みの写真に児童ら250人といっしょに見入った。

 中村さんはいわば巨大災害の前と後の境界線で生を受けた人である。

 揺れの記憶はなくとも、鮮やかに体験と思いを語り得ている。

 聴衆の中から次の世代の語り部が生まれるよう祈った。』


同じく今日の、朝日新聞「社説」の冒頭は、次のような文章でした。

『未明の街を襲った阪神・淡路大震災から17日でまる23年となった。

 失われた6434人の命を無にしないため、

 惨事の記憶と教訓を次世代へ継承する営みを粘り強く続けたい。』


今日の「天声人語」は、そのわずか「603文字、6段落」のなかに、

「惨事の記憶と教訓を次世代へ継承する営み」がインプットされていた、

不偏不党のコラムだったと思います。

怒りはいずこに?

少し古い話題となってしまいましたが、

昨年12月25日の「YOMIURI ONLINE」に掲載された「名言巡礼」は、

映画監督・大島渚さんの『君たちはなぜ、怒らないのか』という言葉で、

次のような解説がありました。


『父が世を去った時、2人の息子は父の言葉を本にして残そうと思った。

 話し合って、50の言葉を選んだ。題名は一番父らしい言葉にした。

 「君たちはなぜ、怒らないのか」

 父は、「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」など

 数々の傑作で世界的に有名な映画監督・大島渚

 2人の息子は、長男で大学教授の武さん(54)と、

 次男でドキュメンタリー作家の新さん(48)である。
 
 この言葉を、兄弟は父から直接聞いたわけではない。

 メディアで近いニュアンスのことを言ったという記憶はあるが、著書でも確認出来なかった。

 「でも今、父が生きていたら絶対にこう言うと思います。若者たちは物わかりがよくなった。

 昔は議論したり闘ったりしたものですが」。

 新さんが言う。子供の頃、突然怒り出す父を見るのは嫌だった。

 今はそれが父の生き方だったと思う。

 「立場が上の人が理不尽なことを言うのを絶対に許さなかった。

 そこは自分も似ているところがあると思います」』


この記事を読んで、その昔、某テレビ番組で、大島監督が怒っている姿を思い出しました。

その際の、細かなシチュエーションはほとんど覚えていないけれど‥‥。

私はどうかというと、ここ数年、「世の中の不条理」に対して、

怒りを覚えるということがめっきり少なくなりました。

これは、私がようやく「大人」になったということなのか、

それとも、怒る気力さえ失せてしまったのか、あるいは、諦めてしまったのか、

自分でもよく分かりません。


ところで、記事にも書いてありましたが、

最近の若い人は、どんな時に、何に対して、怒りの矛先を向けるのでしょう?

「世の中の不条理」に対して怒ることはあるのかしら? 例えば、昔の学生運動みたいに‥‥。

若い人が「物わかりがよすぎる社会」は、かえって不気味な気がします。

「真面目さ」というスキル

今日15日の日経新聞「経済教室」に掲載された 、鶴光太郎・慶応大学教授の執筆による、

『人生100年 伸ばせ「性格力」~大学・生涯教育に反映と』という論考が勉強になりました。

この論考は、次のような文章で始まっていました。


『人生100年時代においては、就業も80歳まで見据えることができるようになる。

 昨今の技術革新のスピードの速さを考えれば、我々が学ぶべき対象も大きく変化している。

 年齢に関係なく学び続けることが重要だし、

 機会をみつけて本格的な学び直しをすることが必要になってくる。

 リカレント教育(生涯にわたって教育と就労を交互に行うことを勧める教育システム)のあり方が

 重要な政策課題になっているゆえんである。

 しかし、我々は何を学び直す必要があるのか。

 それは学校の教室で先生が一方的に教える新たな知識であろうか。

 単に知識の蓄積とその引き出しだけでする仕事であれば、

 高度な仕事にみえても将来はAI(人工知能)に代替されてしまうであろう。

 それでは、AIに代替されないような普遍的な能力やスキルとは何であろうか。

 そのカギとなるのが「性格スキル」である。

 性格スキルとは、心理学や経済学で「非認知能力」と呼ばれてきたものだ。』


へぇ~、そうなんですか‥‥。

「AIに代替されないような普遍的な能力やスキル」が「性格スキル」とは意外でした。

また、「性格スキル」が心理学や経済学の世界では「非認知能力」と呼ばれることや、

心理学の世界で「性格スキル」は、5つの因子(ビッグ・ファイブ)に分解できることが

コンセンサス(合意)となっていて、それらが組み合わさって性格が形成されていることを知りました。

なお、この5つの因子とは、

①「開放性」~好奇心や審美眼、②「真面目さ」~目標と規律を持って粘り強くやり抜く資質、

③「外向性」~社交性や積極性、④「協調性」~思いやりや優しさ、

⑤「精神的安定性」~不安や衝動が少ない資質 の5つで、

このなかでも、「真面目さ」が職業人生に大きな影響を与えることがわかっているそうです。


ところで、この「真面目さ」でふと思い起こしたのは、

夏目漱石の代表的小説「こゝろ」で、「先生」が「私」に、

『あはたは本当に真面目なんですか?』と問いかけていたことです。


今回の鶴教授の論考とは全然関係ないけれど、人が生きていくうえでの「真面目さ」というのは、

漱石の時代においても、現在のAIの時代においても、その言葉の定義や解釈は別として、

とても普遍的で大切なキーワードではないかと考えた次第です。

睡魔には勝てない?

厳しかった寒さも、この土曜日、日曜日には、少し和らいだような気がします。


私はこの二日間ともに、コタツで2時間ほどの昼寝をしました。

昼食後に、コタツで身体を丸めてテレビを見ていると、突然のように睡魔におそわれます。

特に、昨日は、ラグビー日本選手権の「サントリー」対「パナソニック」の試合を

気合を入れてテレビを見始めたのに、不覚にも前半戦が終わったところで寝てしまいました。

う~む、どうしたんだろう‥‥?


前半戦を観ただけの感想なのですが、両チームともにレベルがとても高いということです。

とりわけ、ラックでの熾烈なボールの争奪戦は見応えがありました。

両チームには、サントリーの松島選手や真壁選手、パナソニックの堀江選手や山田選手、福岡選手など、

日本代表のメンバーもたくさん入っていましたが、個々人のプレーがさほど目立たなかったのも、

それぞれの選手が「フォア・ザ・チーム」に徹していた証だと思います。

ラグビー大学選手権では、帝京大が9連覇を果たしました。

でも、その帝京大も、この両チームには歯が立たないだろうな‥‥、と感じた次第です。


アジア初の開催となるラグビーのワールドカップ2019は、いよいよ来年となりました。

それまでに、お互いが切磋琢磨することによって、

日本代表のレベルがさらに高まることを期待したいと思います。

「生きがいとは何か」を学ぶ

定年退職後に転職などを経験する過程で、

自らの「生きがい」について日々悩み、そして、日々考えることが多くなりました。

そのような精神状態のなかで、かつて購入した『生きがいについて』(神谷美恵子著:みすず書房)が、

書棚に眠っていることを思い出し、最近になってその全文をようやく読了しました。

読んだ後の本書は付箋だらけになっていましたが、そのなかのいくつかを次のとおり、

この日記に書き残しておこうと思います。


・ほんとうに生きている、という感じをもつためには、

 生の流れはあまりになめらかであるよりはそこに多少の抵抗感が必要であった。

 したがって生きるのに努力を要する時間、生きるのが苦しい時間のほうが

 かえって生存充実感を強めることが少なくない。

 ただしその際、時間は未来にむかって開かれていなくてはならない。

 いいかえれば、ひとは自分が何かに向かって前進していると感じられるときのみ、

 その努力や苦しみをも目標への道程として、生命の発展の感じとしてうけとめるのである。


・ところで生きがいということがとくに認識上の問題になるのはどういうときであろうか。

 いうまでもなく青年期は一般に、もっとも烈しく、

 もっとも真剣に生の意味が問われる時期である。

 若いひとたちに日頃接している者ならば、だれでもおぼえがあろう。

 いったいどうして勉強などしなくてはならないのか、どうして生きて行かなくてはならないのか、

 どんな目標を自分の前においたらよいのか、

 と不安と疑惑にみちたまなざしで問いつめられたことを。

 このような問いに対してどのような態度をとり、どのような答えをなしうるか、

 ということが親たる者、教師たる者の試金石の一つである。


・現在の幸福と未来の希望と、どちらが人間の生きがいにとって大切かといえば、

 いうまでもなく希望のほうであろう。

 それゆえに高給でも将来性のない仕事ならば、えらばないほうがよいのである。

 将来性という観点からみれば、功なり名をとげたというような状態は、

 かならずしもうらやむべきものではない。若い人のほうが生きがい感を持ちやすい理由の一つは、

 彼らが過去という重い荷に制約されることなく、すべてを未来にかけて、

 わき目もふらずに何ものかを創り出そうと力のかぎりをかたむけうるからである。


・いずれにしても自分に課せられた苦悩をたえしのぶことによって、

 そのなかから何ごとか自己の生にとってプラスになるものをつかみ得たならば、

 それはまったく独自な体験で、いわば自己の創造といえる。それは自己の心の世界をつくりかえ、

 価値体系を変革し、生活様式をまったく変えさせることがある。

 ひとは自己の精神の最も大きなよりどころとなるものを、

 自らの苦悩のなかから創り出しうるのである。

 知識や教養など、外から加えられたものとちがって、

 この内面からうまれたものこそそのひとのものであって、何ものにも奪われることがない。


・余暇というものは、仕事が忙しいひとには思いがけない贈物のようにたのしいものであるが、

 生活全体が余暇になってしまったひとにとっては倦怠と苦痛でしかない。

 時間を「つぶす」ためにいろいろなことを試みてみても空虚さと無意味さの感じがつきまとう。


・人間の存在意義は、その利用価値や有用性によるものではない。

 野に咲く花のように、ただ「無償に」存在しているひとも、

 大きな立場からみたら存在理由があるにちがいない。

 自分の眼に自分の存在の意味が感じられないひと、他人の眼にもみとめられないようなひとでも、

 私たちと同じ生をうけた同胞なのである。もし彼らの存在意義が問題になるなら、

 まず自分の、そして人類全体の存在意義が問われなくてはならない。

 そもそも宇宙のなかで、人類の生存とはそれほど重大なものであろうか。

 人類を万物の中心と考え、生物のなかでの「霊長」と考えることからし

 すでにこっけいな思いあがりではなかろうか。


本書の「はじめに」の書き出し部分で著者は、

『いったい私たちの毎日の生活を生きるかいあるように感じさせるものは何であろうか。

ひとたび生きがいをうしなったら、どんなふうにしてまた新しい生きがいを

見いだすのだすのだろうか。』と述べられていました。

本書を読み終えて、その答えには万人に共通のものはなく、

人それぞれが、それぞれの人生を「真摯に」生きる過程において見いだしていくものだ、

と教えられたような気がします。

そして、私個人としては、「希望」というものが、神谷さんも述べられているように、

生きていくうえでは極めて大切なものではないかと思っています。


なお、著者は、本書の「おわりに」で、

『現代日本の社会、さらには現代文明と人間の生きがいの問題は今後ますます

 大きくのしかかってくるであろう。現代文明の発達はオートメイションの普及、

 自然からの離反を促進することによって、人間が自然のなかで自然に生きるよろこび、

 自ら労して創造するろこび、自己実現の可能性など、

 人間の生きがいの源泉であったものを奪い去る方向にむいている。

 どうしたらこの巨大な流れのなかで、人間らしい生きかたを保ち、

 発見していくことができるのであろうか。』と述べられていました。

今現在を生きている私達に向けて、今は亡き神谷さんからの、とても重い問い掛けだと感じました。

(追記:私の書棚には、同じく神谷美恵子さんの『こころの旅』(日本評論社)が眠っています。)

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)