『死の淵から奇跡的な快復をとげて、生命科学者は見つめ直す
生きていることの意味』 単行本の本書の帯紙には、このように書かれていました。
「診断もつかない病に倒れて30年」という、著者の苦悶の日々を綴った文章…。
母が慢性気管支喘息で苦しむ姿を見てきた私は、
著者のそうした文章よりも、むしろ、著者の御主人が書かれた
「あとがき~家族に病人がいるとき」に心を打たれました。
例えば、次のような記述には、胸がつまる思いでした。
・私は決して働き者ではないが体を動かすことに抵抗はない。
しかし、病人がいるという現実が、こんなにも家族の心を重く沈ませ、
耐えがたくするものだとは思っていなかった。 ~ (略) ~
病人や身障者を抱えている家族はどんなに遠くへいっても、
どんなに楽しみのなかにいても、病人や身障者のことが脳裏にしみついて
決して離れることがないのだ。
・激しい痛みはたいてい右季肋部ではじまった。私はただオロオロした。
オロオロしていると家内は、
「痛いのは私ですから、あなたはしっかりしてください。」という。
しかし、こっちも心臓が痛み呼吸が苦しくなった。
医師が、どんなに苦しむ患者をみても冷静でいられるのは、
患者と距離をおいているからだと思う。
私も距離をおかなくては、でなければ、
長い介護は続けられないと言いきかせるのだが、ただオロオロするばかり、
これは生まれつきで努力してできることではなさそうだ。
それにしても、この状況でもし、私のほうが先にいったら、
残された家内はどうなるのだろうと心配だった。
私も、母が息をするのもやっとのように咳き込むときには、
「ただオロオロするばかり」で、背中をさすること以外は、まったく無力でした。
そのような弱い私を、いやでも思い起こさせる文章でした。
母には、苦労ばかりかけて親孝行ができなかったことを、
今でも申し訳なく思っています……。
そして、自分がもし寝たきりになった時には、
著者のように生きる意味を見いだせるのか、…など、深く考えさせられた本でした。
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