しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

努力を必要とするもの

今日29日の朝日新聞「折々のことば」は、

倫理学者・池上哲司さんの

『海のものとも山のものとも知れないのは、君にとっての彼女であり、 

 彼女にとっての君なのだよ』という言葉で、

いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。

 

『彼女ができた息子に、一つの家庭を維持するのに

 どれほどの努力が要るかを確(しか)と伝えておこうと、父は思う。

 昔、先の見込みも立たないまま先方の家を訪れ、

 娘を独りで育てた母親のその兄に、

 「海のものとも山のものとも知れない者に娘をやるんだからな」と

 釘をさされた経験を反芻(はんすう)しつつ。

 倫理学者の随想集「不可思議な日常」から。』

 

この解説を読んで、

妻と結婚するときに、妻の実家の御両親に挨拶に行ったことを、

遠い昔の話ですが、昨日のことのように思い出しました。

その時には、御両親とも温かく私を迎えてくれましたが、

おそらく内心では、鷲田さんの解説にあるように、

「海のものとも山のものとも知れない者に娘をやるなんて…」と

半ば諦めにも近い境地で、初対面の私を見ていたのではないでしょうか……。

 

そして、妻と結婚して、今月13日で満34年となりました。

お互い年を取りました……。

この間、いろいろな出来事がありましたが、

これまた鷲田さんの解説にあるように、

「一つの家庭を維持するのにどれほどの努力が要るか」を、

思い知らされた34年間でした。

 

一言付け加えさせていただくと、

一組の夫婦を維持するためには、一つの家庭を維持する以上に努力が要ると、

痛切に感じる今日この頃です……。(苦笑)

不思議な充実感と満足感

今月20日に「エミフルMASAKI」で記念すべき30回目の献血をしたところ、

今日28日に、血液の検査成績の葉書が届きました。

 

昨年11月に人間ドックを受診した際には、

悪玉コレストロールや蛋白の数値が高かったので、恐る恐る葉書を開いてみると、

なんと今回は、コレステロールの数値も低く、

おかげさまで、すべての項目が基準値の範囲内に収まっていました。

 

ホッとした気持ちとともに、

この血液だったら人様のお役に立ったのではないかと思い、

とても嬉しい気持ちになりました。

献血をすると、血液検査の結果を過去4回分の結果も含めて

本人に知らせていただけるのは、とても有難いサービスだと思います。

 

ところで、今日は、私も妻も仕事がお休みだったので、

午後4時半過ぎから、父も誘って、

久しぶりに松山市星乃岡温泉に行ってきました。

やっぱり温泉は、家のお風呂と違って、入浴した後の疲労回復度が違います。

父もとても喜んでいました。

 

今日は平日の休日……。

人様が一生懸命働いている日に休むというのは、

罪悪感というよりも、むしろ、不思議な充実感と満足感があります。

 

 

 

 

神が現れた日

『持てる力をすべて出したとき「神が現れる」』という言葉は、

稲盛和夫日本航空名誉会長の名言ですが、

昨日26日の大相撲春場所千秋楽、

横綱稀勢の里の戦いぶりにその「神」を見たような気がしました。

稀勢の里自身も、『自分の力以上のものが出た。見えない力が働いた。』

優勝力士インタービューで答えていたと思います。

 

本当に、この世の中には目に見えない大きな力が働くことがあって、

その見えない力に運よく遭遇する、あるいはその場に立ち会うことができると、

「あぁ~、辛く悲しいことも多いけれど、生きていて良かったなぁ…」と

誰しも感じるのではないでしょうか…。

 

同じ26日、第89回選抜高校野球大会の第7日目。

甲子園球場では2回戦3試合が行われましたが、

福岡大大濠滋賀学園の試合は1対1、

高崎健康福祉大高崎福井工大福井の試合は7対7で、

ともに延長15回で引き分け、規定により再試合となりました。

1大会で2試合の延長引き分け再試合は、春夏を通じて初めてだそうです。

しかも、その再試合の2試合が同じ日に起きるなんて……。

 

2017年(平成29年)3月26日は、

大相撲と高校野球というスポーツの世界で「神が現れた日」、

或いは「奇跡が起こった日」として、長く語り継がれることと思います。

「真の花」~すてきな年の取り方

日経新聞電子版「定年楽園の扉」は、

経済コラムニストの大江英樹さんが執筆されていて、

私も読者の一人なのですが、今月23日に掲載されたコラムは、

『老後を豊かにする 年齢を受け入れる生き方』というタイトルでした。

 

「青春とは人生のある期間ではなく、心の有り様を言うのだ」という

詩人サミュエル・ウルマンの「青春」という有名な詩について、

大江さんは、まず、次のように述べられていました。

 

『世の中にはこの詩が大好きだという人がたくさんいます。

 特に比較的年齢の高い経営者や企業の役員にその傾向が強いようです。

 そういう人には申し訳ないのですが、

 私は若い頃からこの詩が好きではありませんでした。

 年を取ったら好きになるかと思ったものの、

 65歳という年齢になっても同じです。』

 

えっ、ドキリ……。

私は経営者でも役員でもないけれど、この詩が好きな一人なのですけど…。

なぜ好きではないのか、

大江さんは次のように述べられていて、ようやく私も納得しました。

 

『年を取れば能力は落ちます。体力はもちろん記憶力も、

 場合によっては判断力だって低下することが多くなります。

 見た目も若い頃とは違って衰えます。

 にもかかわらず「青春だ」と声高に叫ぶのは、

 「若者には負けたくない、自分だってまだまだやれるんだ」

 と主張することで自分を納得させようとしているのでしょう。

 こうした人はともすれば若者に嫌われる「老害」になりかねません。
 

 私は年を取ることが悪いとは全く思いません。

 年を取ったら取ったなりの味わいが出てくるからです。

 大切なことは老いにあらがうのではなく、

 それを受け入れて自分にふさわしい役割を果たすことではないかと思うのです。』

 

そして、大江さんは、能の世阿弥の「風姿花伝」の中にある

「時分の花」と「真の花」について、

世阿弥は「若い頃は何もしなくても美しいし、花がある。

年老いてくると花は衰えるが別の花が生まれる。それが真の花だ」

と言っていると紹介されたうえで、次のように述べられていました。

 

『つまり、年を重ねて経験を積んできたからこそ出せる魅力があるということです。

 若い人と張り合う必要は全くないのです。

 年を取っても「俺は青春だ」と威張るのではなく、

 自分の能力の衰えを素直に認めた上で、自分にしかできないこと、

 自分の年齢だからこそできることは何かということを考えるべきでしょう。

 そうした観点から仕事でも世の中にでも貢献することを考えるのが

 すてきな年の取り方ではないかと思うのです。』

 

はぃ、分かりました。

もとより、若い人に負けないように頑張る意欲と能力は、今の私にはありませんが、

これからもこうした心構えで生きていければ……と思います。

 

ただ、「すてきな年の取り方」は、言うのは簡単かもしれないけれど、

老木に花を咲かせるのは難しいというか、

本人にとっては、試練と忍耐を伴う、とっても難しい「生き方」だと思います。

 

一面コラムの社会的使命

今月23日の朝日新聞天声人語」を読んで、目頭が熱くなりました。

少々長くなりますが、その全文を省略せずに引用させていただきます。

 

『引っ越し作業が続く福島県警双葉署を訪ねた。

 ここは福島第一原発から約9キロ。

 6年前の事故であたりの人々はみな避難させられ、

 警察署も隣町の「道の駅」に仮住まいしてきた。

 今月末、ようやく元の庁舎で本格的に仕事を再開する。

 署のすぐ隣の児童公園にはパトカーが1台、保管されている。

 ハンドルは折れて曲がり、ワイパーが柳のように垂れさがる。

 サイレン灯もなければ、車体に「警察」の文字もない。

 一目見るだけで、津波のすさまじい破壊力を実感させられる。

 6年前の3月11日、署員2人がこのパトカーに乗り込み、

 海岸付近で住民に避難を呼びかけた。「車を置いて早く避難を」。

 2人は津波にのみこまれる。うち1人はいまなお行方不明のままである。

 パトカーは沿岸部に残されていた。いつしか簡素な祭壇が設けられ、

 住民はもちろん、遠く県外から派遣された警官たちも手を合わせた。

 住民らから保存を求める声があがり、2年前に公園へ移された。

 「想像を絶する津波が迫る中、自らの命を犠牲にして住民を救おうとした。

 そんな警察官のことをパトカーは後の人々に伝えてくれる」。

 双葉署復興支援係の寺坂健警部補(30)は話す。

 この春、署がある富岡町でも避難指示が一部で解かれ、住民の帰還が始まる。

 もとの家に戻れない人々にとっても、

 わが町に警察署があるという安心感は大きいだろう。

 もう人の乗ることのないパトカーの脇には、

 色鮮やかなユリやキク、2本の缶コーヒーが供えられていた。』

 

このコラムを読んで、いくつか学んだことがありました。

一つ目は、人間には崇高な自己犠牲の精神が備わっているということ。

二つ目は、そうした精神に支えられた究極の善行を、

天の声として世に知らしめていくことが、一面コラムの社会的使命であること。

三つ目は、私たちの目の前に、当たり前のようにある安心・安全は、

多くの方々の献身的な行動によって支えられていること。

 

伝説のコラムニスト・深代惇郎さんを生んだ朝日新聞天声人語」…。

今回のような市井の方々に寄り添った名文(特に最後の二行は、たった二行だけれど、

実に心に染みるものがあります。)に出合うと、

高校・大学生の頃から数十年経った今も、この一面コラムを読まないと、

なんとなく一日が落ち着かないその理由(わけ)が、分かったような気がします。

 

朝日新聞全体を貫く主義・主張には、ついて行けないことが多々ありますけど…。(笑)