しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

幼児教育と「三つ子の魂」

今日14日の朝日新聞天声人語」は幼児教育に関するコラムで、

次のようなことが書かれていました。

 

『学校に入る前の幼児教育は、かなり将来まで影響を及ぼすのではないか。

 そんな議論が注目されている。

 第一人者であるヘックマン米シカゴ大教授の著書『幼児教育の経済学』には、

 所得の低い家庭から幼児を選び、無償で教育を施した研究が紹介されている。

 40歳時点で他と比べると学歴や収入が高く、

 生活保護を受ける割合が低かったという。

 「機会均等を声高に訴えながら、私たちは生まれが運命を決める社会に生きている」

 とヘックマン氏は米国を嘆く。誰もが親から知的刺激を受けられるわけではない。

 だからこそ、公的な幼児教育で不平等を解消したいという訴えである。

 程度の差はあれ、我が国にも通じる問題だろう。

 お金のかけられる親による英才教育ではなく、格差の縮小につながる幼児教育。

 それが可能だとすれば、十分検討に値しよう。

 幼児教育は学力だけでなく、根気強さや注意深さ、

 意欲などの「非認知能力」を育むのが大切だと、ヘックマン氏は説く。

 それは案外、「三つ子の魂百まで」の現代版なのかもしれない。』

 

う~む、なるほど……。

「お金のかけられる親による英才教育ではなく、格差の縮小につながる幼児教育」

というのは、説得力のあるご指摘だと思います。

 

ところで、孫娘は絵本を読むのが大好きで、

毎週末にはグランマと町立図書館に本を借りに行くのが習慣になっています。

絵本にしろ、幼児の頃から読書の習慣を身に着けておくのは、

大変結構なことだと思っているのですが、 孫娘の私生活に目を向けると、

食事の作法や遊んだあとの後片付けが身についておらず、

ママに毎日のように叱られています。(それでも全然へっちゃらです……。)

 

先ほどのコラムでヘックマン教授は、

「幼児教育は学力だけでなく、根気強さや注意深さ、

意欲などの非認知能力を育むのが大切だ」と述べられていますが、

どうやら孫娘は、この「非認知能力」の向上に取り組む必要がありそうです。

 

なお、私の個人的な意見としては、

持って生まれた孫娘の性格だと思っています。(苦笑)

セカンドライフを考える

今月10日の日経新聞「今を読み解く」は、 ノンフィクション作家・久田恵さんの

『問われるセカンドライフ~地域に居場所づくりを』というタイトルの記事で、

その冒頭は次のような文章で始まっていました。

 

団塊世代が70代に突入した。定年延長で会社につながっていた人も

 完全フリーになり、いやおうなく今後のセカンドライフの生き方が問われている。

 介護現場を取材していると、 「あの団塊世代が要介護老人になったら…」

 との声をよく聞く。 どうもこの世代は権利意識が強く、

 批判精神が旺盛で扱いにくいと戦々恐々とされているらしい。

 一方では「アクティブシニア」とも呼ばれてきて、

 自分なりの価値観をもつ世代と定義され、

 社会に積極的にかかわる新しいシニアのイメージも持たれている。

 目下、70歳男性の平均余命はほぼ16年、女性は20年で年々長くなっている。

 セカンドライフはもう余生ではなく、

 新たな人生ステージとして再検討されねばならなくなっているのだ。』

 

ちなみに、この「団塊の世代」をウィキペディアで調べてみると、

次のように書かれていました。

団塊の世代とは、日本において、

 第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代を指す。

 焼け跡世代の次の世代に当たり、

 第二次世界大戦直後の1947(昭和22年)~1949年(昭和24年)

 に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のことである。

 第一次ベビーブーム世代とも呼ばれる。

 日本経済においては第二次世界大戦後の高度経済成長、

 バブル景気を経験している。』

 

私の周りを見渡しても、例えば従兄・従姉は団塊の世代で、

また、今の職場の上司である理事長も団塊の世代ですが、

いずれも前向きな考え方とパワフルな行動の持ち主であることを実感しています。

そして、そのたくましい生き様は、常に私の見本となっています。

ところが記事では、先ほどの文章の後に、次のような記述がありました。

 

『高齢者は裕福といわれているが、それは団塊の上の世代まで。

 子どもが非正規雇用で、援助をしていたり、

 長生きの親の介護がリタイア後に重なっていたりもする。

 核家族化で親を介護するが子どもには自分の介護を期待できない

 サンドイッチ世代でもある。

 現実には、優雅なセカンドライフを送っているのは少数派。

 多くは、生活維持のために、「ずっと働き続けたい」というのが実態だ。』

 

う~む、なるほど……。現実は厳しいものがありますよね……。

ところで、この「サンドイッチ世代」という定義に関しては、

私にも当てはまるところがあります。

高齢の父と同居していて、日常はその父の世話に追われ、

娘はシングルマザーで仕事と育児で忙しく、

休日は妻が孫娘の面倒を見なければならないような状態で、

私たち夫婦の介護を、将来、娘に期待することはできません……。

 

さらに、記事の最後には、

『今後のリタイア男性は、自ら多様な人生ステージを創出することをためされている。

 その先行世代だとの覚悟が必要だ。

 家庭や地域に軸足を置き、時代を動かす担い手になることが期待されている。』

と書かれていました。

 自分に限って言えば、リタイア後は疲れ果てて、

時代を動かす担い手どころか、 社会のお荷物になりはしないかと心配しています。

 

セカンドライフを生きるのも、難しい時代になっているのかもしれません。

病気の総合商社?

先週土曜日に受診した脳神経外科は初診だったので、診察券が交付されました。

私の場合、診察券は普段、定期入れの中に納めているのですが、

気が付いてみると、その定期入れは診察券だらけになっていました。

脳神経外科、歯科、皮膚科、消化器科、内科、耳鼻咽喉科、整形外科………。

 

う~む……(絶句)。 これではまるで、私は病気の「総合商社」みたいな存在です。

いや、でも待てよ……。逆に言うと、どんな病気にかかっても、

とりあえず受診する病院が決まっているということで、安心といえば安心です。(苦笑)

 

ところで、報道によると、

政府が今月9日に決定した今年の成長戦略「未来投資戦略」は、

「第4次産業革命」の推進に軸足を置いたのが特徴で、

あらゆるモノがネットにつながる「IoT」や

人工知能(AI)を活用した政策を並べ、

重点5分野として「健康寿命の延伸」などを定めていて、

2020年に照準を合わせ「健康・医療・介護データを 個人が生涯にわたって

一元的に把握できる仕組み」の実現などを明記したそうです。

いずれ近い将来には、私の診察券も一枚に収まる日がくるのかもしれません。

 

そして、今私が持っている診察券には心療内科の診察券はありませんが、

さきほどの脳神経外科病院には心療内科も併設されているようです。

ここ数年、中途覚醒や早期覚醒の睡眠障害にも悩まされているので、

そのうちメンタル面でお世話になるかもしれません……。

 

このように、私は病弱、あるいは虚弱体質なのに対して、

父は、いまでこそ糖尿や皮膚に問題を抱えていますが、

慢性気管支喘息の持病があって、いつも病院通いだった亡き母と違って、

私が子供のころから、ほとんど病院に行ったことがありませんでした。

 

体が健康であることは、何物にも代えがたい財産だと思います。

年をとるということ

乗り物に酔った感じの体調不良がなかなか治らないので、

昨日は妻の勧めで脳神経外科を受診してきました。

 

先生にこれまで症状を説明し、MRIを撮ってもらったところ、

脳の一部に白い部分が少しだけあることが画像で分かったのと、

副鼻腔炎が上顎洞という箇所に発症していることが判明しました。

脳の白い部分は大丈夫らしいので、まずはこの副鼻腔炎を治療すべく、

約一か月分の飲み薬を処方してもらい、その後、再びMRIを撮ることになりました。

意外な病気に罹っていることに驚きましたが、

年を取ると、いろいろなところにがガタがきていることを実感します……。

 

さて、毎日少しずつ読み進めていた

『暮らしの哲学』(池田晶子著:毎日新聞社)を読了しました。

いろいろと考えさせられる記述が盛りだくさんの本でしたが、

先ほどの「年を取る」ことに関して、次のような記述が印象に残っています。

 

『私が年をとることを、おいしい、面白いと感じるのは、

 自分の心がいよいよ深く豊かになってゆくのをはっきりと自覚するからです。

 ああ、こんな感覚、こんな考えは、若い頃には知らなかった。

 こんなにも深く、あの考えが成長した、こういう内なる成熟を、

 日々観察し味わいつつ暮らすことである老いるということは、

 私にとって非常な喜びでありまして、

 神は(自然は)我々の晩年にかくも素晴らしいごほうびを用意してくれていたのか、

 そういう感謝めいた気持ちにすらなるものです。

 とくに抽象的な話ではありません。

 たとえば、かつて何でもなかった体のある動きが、

 不自由になっているのを感じる。

 このこと自体が私には、ひとつの新たな発見でありまして、

 なるほど人の言う不自由、不如意とはこのことだったのか。

 世界の層が、そのぶんだけの厚みを増します。

 ~(略)~ まあそんなふうに、私にとっては年をとるということは、

 それ自体が人生の醍醐味のようなものなので、

 アンチエイジングで抵抗するという気にはとてもなりません。

 気持ちを若く保つなんて言い方も聞きますが、

 そんなことする必要なんか全然ないんです。

 だって、80歳の人間が40歳の人間と

 同じ感じ方や考え方をしてどうするんですか。

 老人には老人にふさわしい経験と知恵が備わっているべきです。

 そうでなければ、何のためめにそんな年まで生きたのかわからない。

 年をとってから変わるのは、それこそ大変なことです。

 今のうちから、幸福の価値転換をはかっておくことをお勧めします。』

 

う~む……、年をとるというのは、そういうものなのでしょうか…?

凡人である私は、著者のような境地に達することがなかなかできません。

「年をとってから変わるのは、それこそ大変なこと」だと思っています。

 

暮らしの哲学

暮らしの哲学

 

 

 

強さは本物なのか?

自民党~「一強」の実像』(中北浩爾著:中公新書)を読了しました。

 

私の感想を先に書きますと、

本書は豊富なデータと資料に基づいて書かれた力作だと思います。

そして、今の自民党の強さは本物かどうかについての結論は、

次のように書かれていました。

 

『 ~(略)~ 長年にわたって築かれた自民党の優位は、

 簡単にはくつがらない覆らないだろう。

 歴史的な実績に裏づけられた政権担当能力

 二度の下野を短期間で乗り越えた経験、変化しつつも安定的な意思決定の手続き、

 地域や業界に深く根差した集票組織、強固なパートナーである公明党の存在

 といった政治的リソースは、自民党にしか存在しない。

 衆議院小選挙区制を背景に再び二大政党化が進展したとしても、

 日本政治が今後も自民党を軸に展開していくことは間違いない。』

 

さらに、現在の安倍自民党については、次のように書かれていました。

『安倍自民党は、「自主憲法の制定」をはじめ、

 右派的な理念を中心に据えて民主党民進党に対抗する一方、

 自民党が内包する様々な要素を両立させ、党内の一体性を確保している。

 現在も自民党では、党内の足並みの乱れが2009年の政権からの転落の

 大きな原因になったという認識が根強い。

 安倍はそのような認識を十分に踏まえた政権運営を行っている。

 つまり、「内なる結束」と「外への対抗」という点にこそ、

 安倍自民党の特徴が存在する。』

 

う~む、どうやらこれからも、「自民党一強」は揺るぎそうもありません。

ただ、この点に関して著者は、次のようにも述べられていました。

無党派層自民党に失望し、民進党をはじめとする野党、

 あるいはポピュリスト政党に期待が向かう時代が生じれば、

 現在の自民党一強と呼ばれる政治状況は、急激に転換する可能性を秘めている。』

 

自民党を支持するのであれ、批判するのであれ、

まずは自民党の現状を冷静に観察してみる必要があると著者は述べられていますが、

本書は、まさにそのような本になっていると思いました。

 

自民党―「一強」の実像 (中公新書)

自民党―「一強」の実像 (中公新書)