しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「軽い復讐」はいつまで続く?

今日の「NIKKEIプラス1「」の「なやみのとびら」に、

東京都在住の60代の男性の方が、次のような悩みを投稿されていました。


『定年退職して、「専業主夫」になりました。料理、掃除、洗濯など家事を頑張っているつもりですが、

 妻からは「手を抜いている」といつも叱責されます。

 人は褒められて伸びると思うのですが‥。妻は50歳を過ぎて仕事に目覚め、今も働いています。』


日々「名もなき家事」に悪戦苦闘しながら、妻からは「そんなの当たり前」と言われる私にも、

投稿者氏の、辛くて悲しいお気持ちは、よ~く分かります。

この悩み事に対して、著述家の湯山玲子さんは、次のように回答されていました。


『‥‥なぜ奥さんは褒めないのか、というと、これは「軽い復讐」でしょうね。

 彼女が家事全般を担当していたときに、相談者氏は褒めるどころか、

 何の反応もしてきていないはずだからです。

 仕事はお金や出世や他人からの評価という報酬が帰ってきますが、家事労働にはソレがない。

 奥さんのダメ出しは、「褒められないのが当たり前の主婦の仕事を私は長年やってきた。

 そんな出来ではアナタを褒めないし、私レベルに達するまで注文もつけるよ」ということでしょう。』


そして、相談者氏のとる道はふたつあると回答されていました。

ひとつは、専業主夫はやめて、報酬などのある仕事人生にカムバックすること。

もうひとつは家事を極めて、褒められたい欲求などと関係がない、その奥儀に達するまで到達すること。


う~む‥‥。私には、どちらも道も難しいように思います。

あぁ、それにつけても、この「軽い復讐」はいつまで続くのかしら‥? 

重くならなければいいのだけど‥‥。

春分の日の雑感

今日は春分の日です。「日刊☆こよみのページ」のHPには、次のような解説が書かれていました。


『今年のお彼岸の期間は、3/17~23。その真ん中の日が、彼岸の中日で春分の日で、本日がその日です。

 さて、この彼岸の中日である春分の日は、「昼夜等分の日」ともいわれることがあります。

 仏教の中道の精神の象徴として昼夜の長さが同じとなる日を彼岸の真ん中に据えたわけです』


ということで、お彼岸の中日の今日、妻と二人で実家のお墓参りに行ってきました。

普段は人を見かけることのない墓地ですが、さすがに今日は、何組かの家族の姿がありました。

もちろん、ご先祖様の墓前でお祈りしたのは、新型コロナウイルスの一刻も早い終息です。


さて、その新型コロナウイルスの感染が世界中で拡大するなか、

今日の日経新聞「FINANCIAL TIMES」には、

「コロナ対策 政府の出番」というタイトルの記事が掲載されていました。

記事の最初と最後の文章だけ抜き出して、この日記に残しておこうと思います。


新型コロナウイルスの感染拡大がパンデミック(世界的な大流行)に発展したのは予想外なことではない。

 もっとも現実は予想通りにはいかないのも確かだ。このパンデミックは公衆安全上の脅威にとどまらない。

 2008年の金融危機を上回る経済的脅威となる可能性があり、

 対処するには強力かつ賢明なリーダーシップが必要だ。


・この危機は必ず収まる。だが明日終わることはない。このパンデミックは恐慌を招く危険がある。

 古代ローマの法格言を借りれば「国家の安寧が最高の法たるべし」だ。

 戦争中はどの政府も上限を気にせず歳出を拡大する。

 今回も自国の能力を可能な限り生かし、惨事を阻止すべきだ。

 大胆な発想で、即、各国間で協力しつつ行動すべきだ。』


う~む、なるほど‥‥。「国家の安寧が最高の法たるべし」ですか‥‥。名言ですね。

この有事には、「政府が最後の借り手と支出を支える役割を果たすべきだ」とする論調は、

大いに納得できるところがあります。
 

今、必要なもの

日記を書こうと、こうしてパソコンの画面に向かっても、最近は気が滅入る話題ばかりで、

前向きで明るい材料をなかなか見つけることができません。

皆さんは、この大変な時期に、どのようにしてお過ごしですか‥‥?

今、世界で求められているのは、お互いに「我慢を分かち合う精神」なのかもしれませんね‥‥。

どう解釈するの‥?

昨日17日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、落合恵子さんの

『社会が定める「こういうもの」と衝突ばかりする日々をおくってきたが、それはそれで悪くはなかった』

という言葉で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『教育や差別を論じても、介護や食の安全を語っても、一色に染まることを拒み、

 自由と抵抗の構えを崩さなかった作家は、連載エッセー「明るい覚悟」の最終回にこう記す。

 「一冊の本」3月号から。人生はいろんな柵や囲いにぶつかる中でその形が仄(ほの)見えてくる。

 それは、箱入りの贈り物を貰(もら)った時、揺さぶって中身を探るのと似ている。』


う~む‥‥‥。

落合さんの言葉と鷲田さんの解説を、どう繋げればよいのでしょう‥‥?

この日記にどのようにコメントを書くべきか、その言葉がどうしても見つかりません‥‥。(トホホ)

或る日突然、言葉と解説の意味が理解できる時が訪れるかもしれません。

彼岸入りの雑感

年度末ということもあり、何かと気忙しい日々を過ごしています。

今日は彼岸の入り‥‥。「暑さ寒さも彼岸まで」との言葉のように、

これから本格的な春が訪れると思うと、いつもの年なら気持ちも昂るのですが、

今年はそういう訳にはいきません。


今度のお休みに、お墓参りに行ったら、遠い遠いご先祖様に、

「あなた方の時代には、私たちが今経験しているような厄災があったのですか‥?」

「その時の困難を、どのように克服されたのですか‥?」と、真面目に尋ねてみたいと思っています。