しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

青春時代を彩った名曲の数々

作曲家の筒美京平さんが、今月7日に80歳でお亡くなりになったそうです。

愛媛新聞には、「筒美さんが作曲した主な作品」が、次のように紹介されていました。


1968年 ブルー・ライト・ヨコハマ(いしだあゆみ

  71年 また逢う日まで     (尾崎紀世彦

      さらば恋人       (堺正章

      17才         (南沙織

  72年 男の子女の子      (郷ひろみ

  73年 わたしの彼は左きき    (麻丘めぐみ)

  75年 ロマンス        (岩崎宏美

      木綿のハンカチーフ   (太田裕美

  78年 飛んでイスタンブール  (庄野真代

  79年 魅せられて       (ジュディ・オング

  81年 ギンギラギンにさりげなく(近藤真彦


また逢う日まで」から「木綿のハンカチーフ」までは、

私が多感な高校時代と大学時代に流行った曲です。

特に、「17才」や「わたしの彼は左きき」を聴くと、

当時、大好きだった人が、長い髪で「お姫様カット」していたことを思い出します。

また、「木綿のハンカチーフ」は、何十年経っても、その魅力が色褪せることがありません。

そのほかの曲も、私の青春時代に彩を添えてくれました。


感謝の気持ちとともに、哀悼の誠を捧げたいと思います。

一兵卒になる覚悟

久しぶりに「経済レポート専門ニュース」のHPを閲覧しました。

「今日のアクセスランキングTOP20」の第一位は、

長野経済研究所の「サラリーマン学~男の居場所探し」というレポートでした。

そのタイトルに惹かれて、さっそく読んでみることにしました。

そこには、次のようなことが書かれていて、大変参考になりました。


『‥‥定年退職をして半年ぐらいは、

 やりたかったゴルフ三昧、映画三昧、旅行三昧など趣味だけでも楽しいようだ。

 しかし、それらが一巡した後は、家に居る時間がどうしても多くなる。

 そこで出てくる嘆き節が「家に居場所がない」というものだ。』


『‥‥こう考えると、居場所と言うものは、人が落ち着いて生きていくために必要な場所だ。

 学校や勤め先、住まう地域などの「場」で、ただ居るということではなく、

 なんらかの役を担って「ほっとひと安心」とするというのが居場所ということになるだろう。』


『‥‥話を家庭に戻そう。今まで家を空けていたお父さんが家に溶け込むためには、

 最も嫌なことを進んでやればいいと言うことになる。

 まずはゴミ捨てや風呂掃除。そして、便所やカビの生えている排水口掃除などだ。

 当然に料理や地域の役も奥さん任せではいけない。』


『‥‥同様に会社で居場所がないと感じるようなことがあったら、

 その会社で誰もが嫌がる事をやってみたらどうか。

 自分を振り返るに、実はろくに働かない上に、仕事を選り好みしているのかもしれない。

 楽な仕事や、上げ膳据え膳の定年後生活など望んでいたら、

 「居場所がない」も何もあったものではないだろう。

 行き詰まったら常に一兵卒になる覚悟が必要なのかもしれない。』


う~む、なるほど‥‥。

完全リタイアが半年後に迫った私には、これらのお話しは、痛いほどよく分かります。

家庭でも職場でも、自らの「居場所」を確保するためには、

「一兵卒になる覚悟」が不可欠なのだと、5年間の経験を踏まえて、切にそう思います。

ハッピーリタイア」は、そう簡単にできるものではありません‥‥。

自由律俳人の魅力を知る

今日11日は、松山市で晩年を過ごした漂泊の俳人種田山頭火の没後80年の命日。

愛媛新聞には、1ページ全面の特集記事が掲載されていました。

記事には、NPO法人「まつやま山頭火倶楽部」太田事務局長さんの

「今、お薦めの3句」とその解説が掲載されていました。

とても魅力的な句なので、この日記に書き残しておこうと思います。


・「濁れる水の流れつつ澄む」

 一草庵のそばを流れる川を見て詠んだ一句で、俳句を「叙景的叙情詩」と表現した

 山頭火の本質に触れる。何事もそこでとどまってしまえば変化はない。

 いつか心が澄み切る日を信じて進もうという前向きなメッセージが込められている。


・「てふてふひらひらいらかをこえた」

 小さなチョウが法堂の屋根を越えていく姿に何を思うか。

 山頭火は死に場所を探すために出発した旅の終盤、

 この句の舞台となった福井県永平寺で悟りを開いた。

 ちゃんと生きなくては、ちゃんと死ねるわけがない。生への執着の芽生えを感じる魅力的な一句。


・「ふまれてたんぽぽひらいてたんぽぽ」

 道端に根を張るタンポポの姿を単純に切り取ったようだが、

 先の2句と同様に深い叙情が感じられ、個人的にも好きだ。

 どんなに踏みつけられても、花を咲かせるタンポポ。この苦しい時代にもそんな気概は持っていたい。

 山頭火の句にはやはり時代を超えて響く強さがある。


う~む、なるほど‥‥。これらの自由律俳句は、このように鑑賞するのですね‥‥。

分かりやすい解説を読むことによって、山頭火の魅力が少し理解できるようになりました。


そして、この記事の最後には、同倶楽部の藤岡理事長さんが、次のようなことを述べられていました。

『私たち研究家の責任ではあるが、山頭火の本当の姿は、まだそれほど知られていないように思う。

 多くの人が抱くのは、ロイド眼鏡にすげかさをかぶったいでたちや、

 酒を飲んで道路で寝てしまうイメージだろうが、それは一面でしかない。

 実際は、早稲田大学に1期生で入学するほどの秀才で、

 ロシア文学の翻訳をこなすなど極めて高い文学性も持った人物だった。

 本質的な部分が見過ごされているように感じるし、

 そこを煮つめていく研究の余地はまだ残されている。私たち世代に残された時間は少ない。

 次世代の研究家たちにもうまく引き継いでいかなければならない。』


『俳句の聖地「愛媛・松山」吟行ナビえひめ』のHPを閲覧すると、

愛媛には「分け入っても分け入っても青い山」など、山頭火の句碑がたくさん残っているようです。

完全リタイア後には、「句碑めぐり」でもしましょうか‥‥?身体が元気なうちに‥‥。

素晴らしさは何も変わらない‥

昨日、苦労してようやく炬燵を出した途端、今日は一転、夏に戻ったような暑さとなりました。(トホホ)

台風14号がもたらした暑さなのでしょうね、きっと‥‥。


さて、今日の日経新聞一面コラム「春秋」に、次のようなことが書かれていました。

『日本の家庭やスーパー、コンビニなどが廃棄する食品の量は、年間600万トンに及ぶという。

 どれほどの規模なのか。毎日10トントラックで1700台分が捨てられている勘定らしい。

 飽食の時代と言われて久しい。「食品ロス大国」の汚名をぜひとも返上したいものだ。

 スーパーなどで見切り品を購入した様子をSNSで投稿すれば、

 飢えに苦しむ世界の子どもの給食支援ができます――。そんなキャンペーンが今月末まで展開されている。

 1投稿あたり120円が、国内の協賛企業から給食支援に充当される仕組みという。

 国連世界食糧計画WFP)の関連事業だ。参加を呼びかけたい。

 今年のノーベル平和賞は、そのWFPに決まった。食糧などの人道支援を目的に創設された機関だ。

 被災地や紛争地域などで、緊急物資の配布や栄養状態の改善などに尽力してきた。

 平和賞の選考責任者は、「新型コロナウイルスにより飢餓の被害は急速に拡大している。

 食糧は最大のワクチンである」と貢献をたたえた。‥‥』


う~む‥‥。「毎日10トントラックで1700台分」ですか‥。途方もない数字ですね‥‥。

「食品ロス」といえば我が家でも、冷蔵庫の中の食料品や調味料の賞味期限が、とっくの昔に切れていたり、

奥に隠れた野菜の存在に気付かず、すっかり痛んでいたりして、安易に廃棄処分することが多々あります。

コラムに書かれている「食糧は最大のワクチン」という言葉を聞き、

「食糧」大切に扱わなかった「無意識さ」について、深く反省した次第です。


ところで、ノーベル賞といえば、その文学賞が今月8日に発表され、

今年は、米国の女性詩人ルイーズ・グリュックさん(77)が受賞しました。

村上春樹さん(71)の受賞は、残念ながら今回も叶いませんでした。

ネットのニュースでは、村上ファン(ハルキスト)の

ノーベル賞は逃しても、作品の素晴らしさは何も変わらない。」との声が紹介されていました。

はぃ、私もそのとおりだと思います‥‥。

有難いことに‥‥

有難いことに、「はてなブログ」からは、1年以上ブログを継続しているユーザーを対象に、

過去の同じ時期に投稿した記事を振り返るメールが、定期的に届きます。


そのメールで届いた一年前の我が日記を読むと、

ちょうどこの時期に、前立腺と左足の治療を続けていたことが分かります。

左足の治療は、整体に3か月通っても結果は芳しくなかっけれど、その後、自然に治癒しました。

たぶん、整形外科の先生が指摘されたように、悪い状態のまま、身体が固定したのだと思います。


そして、前立腺の治療は今も続いています。

それに加え、昨年末からは、副鼻腔炎アレルギー性鼻炎の治療のための耳鼻咽喉科の通院も加わり、

今日が2カ月ぶりの通院の日でした。


昨年度から、職場に無理をお願いして、金曜日を定休日とした週4日勤務を選択しました。

そのせっかくの金曜日は、父のデイ・サービスの送迎と、

自分自身の病院通いで、一日のほとんどの時間が潰れてしまいます‥‥。(トホホ)