しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

心にぽっかりと穴が‥‥

父が町内の高齢者福祉施設に入居して早や三日が経過し、今日は午前中に面会に行ってきました。

面会は、コロナワクチンを3回接種済みか、PCR検査での陰性証明が必要で、時間は15分以内、

場所は施設の玄関ホール、という決まりがあります。


職員の方に付き添われて2階から車椅子で降りてきた父は、とても和やかな表情をしていました。

食事もおいしく食べれていて、トイレもできるかぎり自力で済ませるよう頑張っているとのことでした。

また、一昨日の月曜日には、強い方と囲碁も打てたと言って喜んでいました。

その満足そうな表情を確認できて、なんだか罪悪感のようなものから解放されたようで、

心が少し軽くなったような気がしました。


そうした安堵感に浸っていたのも束の間、午後に一通の悲しい便りが届きました。

高校時代の友人、S.K君の逝去を知らせる、奥さんからの手紙でした。

短い文章を読み終えると、修学旅行のバスの中で、

朝香ふみえと中島文雄の「ある日渚で」を男二人でデュエットしたこと、

旅館の大浴場のなかで、森昌子の「先生」を皆で大合唱したこと、

クラスマッチでハンドホールやバレーボールに熱中したこと、好きな異性の話題で盛り上がったことなど、

高校時代の懐かしい思い出の数々が走馬灯のように駆け巡りました。


結局、2019年3月、「卒業45周年記念同期会」で再会したのが今生のお別れとなりました。

父がこの家から居なくなり、そして、かけがえのない友人がこの世から居なくなる‥‥。

心にぽっかりと穴が空いたような状態がしばらく続きそうです‥‥。

「3文字」の日本人論

昨日、高松地方気象台から、「四国地方が梅雨入りしたとみられる」との発表がありました。

平年と比べ8日遅く、1951年の統計開始以来、5番目に遅い記録だそうです。

この梅雨入り発表のとおり、今日は終日、雨が降ったり止んだりの、ぐずついたお天気となりました。


さて、kindle端末で『菊と刀』(ベネディクト著、角田安正翻訳:光文社古典新訳文庫)を読了しました。

月に一度の病院通いの日の、往復の郊外電車の乗車時間や診療待ち時間を利用しての読書だったので、

読み終えるまで長い期間を要しました。


本書を読み終えて、特に印象に残ったというか、一番驚いたのは、

文化人類学者である著者が、「一度も日本に来たことがなかった」という事実です。

ですから、書かれている内容には、違和感を感じる箇所がいくつもありましたが、

それにしても「日本」と「日本人」を、よくぞここまで丹念に調べたものだと感心しました。


なお、書名の「菊と刀」について、「訳者あとがき」では、次のように書かれていました。

『‥‥しかし、最近の通説では第12章の叙述にもとづいて、

 菊と刀の意味は大よそ次のように解釈されている。

 菊の花が象徴しているのは、自由を自制する戦中および戦前の日本人の生き方のことである。

 また刀は、狭い意味では刀の輝きを保たねばならない武士の義務のことであり、

 広い意味では自己責任をまっとうしようとする日本人全般の強い意志のことであるーー。』


そうであるならば、「日本人」について、何百ページを費やして論ずるよりも、

この「菊と刀」というたった「3文字」で、十二分に「日本人」を論じているようにも思います。

でも、これはあくまで戦中・戦前の日本人の生き方のこと‥‥。

今の日本人の生き方は、どのような文字で表現したらよいのでしょうね‥‥?

「人が国境を越える」ということ

この日記をお休みしている間の、記憶の片隅に残っていた新聞記事は、

6月7日付けの日経新聞一面コラム「春秋」でした。そのコラムは、次のような内容でした。

全文を引用させていただきます。


『ドイツが初の都市封鎖に踏み切る2020年3月。

 時のメルケル首相は国民に様々な制限への協力を求めた。

 ただし「渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利」であり、

 その制約は「絶対的な必要性がなければ正当化し得ない」と強調することを忘れなかった。

 東ドイツ出身のこの為政者は、国家によって移動の自由が奪われる苦しみに人一倍敏感だったに違いない。

 それでも新型コロナウイルスの猛威を前に、苦渋の決断を下さざるを得なかった。

 長く壁に分断された歴史を持つ欧州の人々にとって「どこにでも行ける権利」が、

 いかに大切であるかを印象づけるスピーチだった。

 そういえば近代社会の刑罰の多くは罪人を監獄に閉じ込め、身体の自由を奪う。

 危険な人物として世間から隔離するだけでなく、苦痛を与える点で処罰にかなうのだろう。

 だとするなら日本人もこの2年、どれだけの我慢を強いられてきたことか。

 大げさかもしれないが「鎖国」下で「檻(おり)」に捕らわれていたようなものだ。

 今月、ようやくその重い扉が開いた。水際対策が緩められ、

 たくさんの国とコロナ禍の前のように往来できるようになった。

 未知の出会いを求め、冒険をしに、何かを学ぶため、そして何かから逃げるため、人は国境を越える。

 いろいろな理由からいまだその自由を手にできない人々にも、早く開放の時が来ることを願う。』


そういえば、今日の野村高文さんのポッドキャスト「News Connect(ニュースコネクト)」で、

『優れたアイデアは「越境」から生まれる』というお話しが、塩野誠さんとの会話の中でありました。

人が国境を越えることで、「Eureka(エウレカ)」とともに、

新しい「アイデア」も、これからどんどん出現することを期待したいと思います。

父が高齢者福祉施設に入居

今日の午後、父を町内の某高齢者福祉施設に入居させました。

その入居手続きなどで、この数日間、精神的にも肉体的にも負荷のかかる毎日を過ごしてきました。


施設内での父の部屋の荷物の整理や、職員の方への引継ぎを終え、

いよいよ私と妻とが施設から帰る際には、さすがに寂しそうな顔をしていました。


帰宅して、主(あるじ)がいなくなった父の部屋を見渡した時、

ようやくこれで数々のストレスから解放されるのか、という安堵の気持ちと、

もっと居宅介護に取り組めたのではないか、という後悔の気持ちが入り混じる、

何とも言いようのない複雑な心境になりました。


ここ数年を振り返ったとき、徐々に心身が老化していく父の諸症状に気が付かず、

時に厳しい言葉を投げつけ、横柄な態度をとった自分を、反省しても反省しきれません。

亡き母とあの世で再会したとき、このような私を果たして許してくれるかしら‥‥?

「慣れ」と「温度差」

昨日は快晴で真夏のような暑さだったのに、今日は午後から本降りの雨になって、

しかも肌寒い一日となりました。寒暖の差が激しく、体調の管理が難しい季節です。


さて、昨日は、今月3日に日本記者クラブで実施された

兵頭慎治・防衛研究所政策研究部長の記者会見を視聴しました。

会見の内容は、ロシアのウクライナ侵攻から3カ月の現状や今後考えられるシナリオについてで、

パワーポイントの資料に基づいたお話しは分かりやすくて、とても勉強になりました。


会見を視聴して分かったのは、この「戦争」は簡単には終わらないだろうということです。

その間における、西側諸国における「慣れ」や「温度差」というものが、一番怖いのではないかと、

個人的には、そのように思った次第です。