しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「信じるに値するのはそれ」の正体とは?

今日は、二十四節気の「大寒(だいかん)」の節入り日です。

天気予報によると、大寒中の来週には、今季一番の寒波が襲来するとか‥。暦はやはり正直者ですね‥‥。


さて、昨日の続きです。

1月14日(土)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、大竹伸朗さんの

「人がそれぞれの一生で「やるべきこと」、実はナニモナイことの裏返しなのかもしれない」

という「ことば」で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『予定が詰まってくると決まって別のことがしたくなると、美術家は言う。

 これが課題だと自明のように言われるものに流されないためには、

 言葉では捉(とら)えられない「小数点以下」の残像や、

 自分の中をふとよぎる得体の知れない感覚をすばやく感知し、

 それがグニョグニョ動き出す瞬間に立ち会うこと。信じるに値するのはそれだと。

 随想集「見えない音 聴こえない絵」から。』


う~む、なるほど‥‥。「予定が詰まってくると決まって別のことがしたくなる」ですか‥。

これとはちょっと違うかもしれませんが、

最近の私は、「何かをしている最中に、急に別の何かを思い出し、結局、両方とも中途半端に終わる」

ということがよく起きるようになりました。

これも「小数点以下の残像」「得体の知れない感覚」なのでしょうか‥?

「信じるに値するのはそれ」の「それ」って、いったい何者なのだろう‥‥?

妙に説得力がある思想

今日は、町立図書館に行って、1月8日(日)から1月14日(土)までの

朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。


この一週間で印象に残ったのは、1月10日(火)と1月14日(土)。

まず、1月10日(火)は、ピエール=ジョゼフ・プルードン

「才能は自然の賜物(たまもの)以上に社会の創造である。

 それは蓄積された資本であり、それを受取る者はその受託者たるにすぎない。」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『才能に恵まれた人といない人。その不平等が社会には厳然とある。

 が、どんな優れた天性も社会から与えられる援助と数多くの先行者や手本がなければ、

 稔(みの)る前に枯れてしまうと、19世紀の社会思想家は言う。

 才能は個人の特性=所有物(プロパティー)ではなく、社会の「希望」のために預かっているものである。

 「所有物とは何か」(長谷川進訳)から。』


う~む、なるほど‥‥。「才能は個人の所有物ではなく、社会の希望のために預かっている」ですか‥。

プルードンは、無政府主義創始者の一人で、労働者の自由な連合により国家を無力化する思想を唱えた。

広辞苑にはこのような解説があります。

今のような混迷の時代、「下からの視点に立つ」その革命論は、妙に説得力があるようにも思えます‥‥。

続きはまた明日にします。

どっと疲れました。

今日は、午前中に「愛大コーホート研究用健診」を受診してきました。

「愛大コーホート研究」とは、高血圧やがん等の生活習慣病の予防、

診断や治療方法を改善することを目的に、愛媛県内に在住の方を対象に、20年間追跡する調査のことです。


健診の中で、私が一番ショックを受けたのは、体力測定のうちの「開眼片足立ち」です。

右足、左足、それぞれ最初は、5秒ぐらいしか立つことができませんでした。

そして、もう一つは「認知機能検査」です。

検査内容は口外できませんが、しどろもどろの回答しかできませんでした。

体力や知力の老化が、本人が気がつかないうちに進行していることが自覚できました。


いずれにしても、私のこの身体が、次世代の予防医学にお役に立てれば嬉しいです‥。

ふぅ~、今日はどっと疲れたので、これぐらいにします‥‥。

私にとっての「古きよき時代」

そういえば、1月14日(土)は大学入学共通テストの初日で、

日経新聞一面コラム「春秋」もそれに関連した内容でしたが、

コラムの冒頭には次のようなことが書かれていました。


『「昔はよかった」。ある年齢を過ぎると、ふとそんなふうに思ってしまうことがある。

 古きよき時代とはいつのことなのか。米国で行われた調査によると、

 1930年代と40年代に生まれた人は50年代を、

 60~70年代生まれの人は80年代を最もいい時期だと考えている。

 スウェーデン生まれの歴史学者、ヨハン・ノルベリ氏の著書

 「OPEN」(山形浩生・森本正史訳)が紹介している逸話だ。

 人は青年期と成人初期の記憶を、ほかのどの時期よりも頻繁に思い返すことが背景にあるという。

 様々なことを初めて体験し、アイデンティティーが形づくられる。

 時代の印象は世代ごとに異なる。‥‥』


う~む、なるほど‥‥。

では、1950年代に生まれた私はどうなのでしょう‥?

コラムで指摘しているように、やはり私にとっても、

青年期と成人初期である1970年代が、「最もいい時期」だったように思います。


輝いていた高校時代、辛かった大学浪人時代、

出会いと思考と模索と煩悩など、ごちゃ混ぜの感がある大学時代‥。

今、振り返れば、1970年代は「昔はよかった」と思える「古きよき時代」です‥‥。

なんとか思い止まる

今日は、四週間に一度の泌尿器科病院通院の日‥。

受診を終えてから、大街道商店街を歩いて北へ向かい、一番町の大型書店に立ち寄りました。


店内にズラリと並んだ本棚の背表紙を眺めているだけで、満ち足りた気持ちになるのが不思議です。

途中、何冊かの本が目に留まり、手に取ってレジの方へ向かおうとしましたが、なんとか思い止まりました。

‥‥というのも、今朝、出掛ける前に、

昨年末にまとめて買った数冊の本を、「読書メーター」の「積読本」に登録したばかりだったからです。


積読本」がこれ以上増えるのはストレスが溜まるし、

かといって、「読みたい本」の購入を思い止まるのもストレスが溜まるし‥。

本とのお付き合いは、好きな人とのお付き合いと同じように、その関係の維持が難しいものです‥‥。