しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

ナショナリズムを考える

韓国大統領の竹島上陸について、
「日本人の一人としてどのようなスタンスでいればよいのか」考えていたところ、
タイミングよく、今日のmsn産経ニュース「正論」に、
雪斎先生こと、櫻田淳 東洋学園大学教授が、
「「対韓温情」姿勢を変えるときだ」という論評を掲載されていました。

保守主義の論客である雪斎先生は、論評の最後の箇所で次のように述べられています。
『李大統領が披露したような韓国の「反日」姿勢は、
 もはや真面目に相手にして
 「憤激」や「苛立(いらだ)たしさ」を感じるような代物ではなく、
 それを冷徹に利用して「利益」を手にしていくための材料でしかない。
 「反日」姿勢に反映された韓国の
 「生煮えのナショナリズム」の果てにあるものを背負うのは、韓国の人々に他ならない。
 それは、日本の人々の与(あずか)り知るところではないのである。
 日本のナショナリズムは、一時の変調はあったにせよ、
 福澤諭吉が象徴するように、
 「万国公法」と「文明」の尊重を大義にした明治期以来、洗練されたものであった。
 それが「生煮えのナショナリズム」に堕しないようにする努力は
 何時の世でも大事であろう。』

反日」姿勢を冷徹に利用して「利益」を手にしていくために、
では一体どうしたらよいのか、私にはさっぱり分かりませんし、
日本のナショナリズムが、明治期以来、洗練されていれば、
先の大戦は回避できたのではないかとも思いますが、
とにもかくにも、
「手が付けられない」ようなナショナリズムにならないように、
というのが雪斎先生の「指摘」という理解でよいのでしょうか??

う〜ん、「国家」や「国益」にかかるイシューは難しいですね。
そして、「国際政治」に関わる「政治家という仕事」は、
とても大事なことだという事実は理解できるような気がします。