しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「鳥」か「凧」か

『鳥はどんな状況でも自分で飛んでいけるが、
 凧は風が吹いているうちは揚がっていられても風が止めば堕(お)ちる。』

昨日(3日)の産経新聞「正論」には、
雪斎先生こと、櫻田淳東洋学園大学教授の
『「凧」になりたい政治家の群れ』と題する論評が掲載されていました。

雪斎先生は、
土方歳三の生涯を描いた司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」を例に挙げて、
土方歳三は剣客として各地を転戦した「鳥」であったのに対し、
近藤勇は何時の間にか政治家になり時代の動きに翻弄された「凧」であったと、
司馬遼太郎の執筆意図を解説されています。

そして、衆院選挙公示の直前情勢を踏まえて、
「次の二点を世の人々に喚起したい。」と述べられています。
 ①司馬作品にある「凧」になる政治家が、いかに多いかということ。
 ②第三極諸党の離合集散の動きにも、
  当面、吹いている風に乗る「凧」になりたい政治家の心理が濃密に反映されている。

さらに、論評の最後の部分は、
雪斎先生らしい鋭い切れ味の文章で締めくくられています。
『「凧」になりたい政治家の姿勢に表れるのは、露骨な「保身の論理」であって、
 逆境にあっても民衆を導くという「剛毅(ごうき)」ではない。
 そのような政治家は信を置くに値しない。
 「民、信無くば立たず」とは万古不変の真理である。』

この記述に関連して、
雪斎先生の名著、『「常識」としての保守主義』(新潮選書)には、
次のようなことも書かれています。
『政治は、多様な人々を相手にする営みである以上、
 その結果は、万人が納得する完全なものではあり得ない。
 しかしながら、保守主義の政治において要請されるのは、
 政治上の対応における「完全」は期し得ないという一種の「諦念」を抱きつつも、
 社会矛盾の克服に向けて地道に努力を続けるという姿勢である。』

私も、政治に「一種の諦念」を抱きつつ、
それでもなお、「投票に行く」という「地道な努力」を続けたいと思います。