しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

手編みの膝掛け

それは、今からちょうど40年前のバレンタインデーの日でした。
高校二年生の私は、郊外電車で松山市の県立高校に通学していました。
その日も、学校の授業を終え、普段と変わりなく定時の電車に乗って家路に就きました。

電車を降りて改札口を抜けると、
見たことのある女性が、古びた駅舎のベンチにぽつりと座っているではありませんか。
そう、その女性は私が秘かに想いを寄せていたクラスメートでした。
彼女は、私より先の電車に乗って、私の帰りを待っていてくれたのです。

私……「どうしたの?こんなところで。」
彼女…「これ、作ったから、よかったら使って。」

手渡されたのは、手編みの毛糸の膝掛けでした。
なんだか嬉しいやら恥ずかしいやら…。
このまま、駅舎で長話をするわけにはいかず、
私は彼女を自宅に案内することにしました。

私の部屋で彼女と交わした会話は、今でも思い出すことができます。
彼女…「○○君は、好きな人はいるの?」
私……「あぁ、いるよ。目の前に。」

大好きな彼女に「恋」を告白した瞬間。
それは身体が宙を舞っているような、不思議な「至福」の時間でした。
それ以前も、それ以後も、
このような感覚を味わうことはなかったように思います。

しばらく会話した後、彼女を駅まで見送りにいきました。
電車に乗って、車内から手を振ってくれた彼女の制服姿は、
いつまでも私の記憶から消え去ることはありません。

以前、NHKのEテレでフランクリンの「夜と霧」を観ました。
番組の中で、
「時間(人生だったかもしれません。)は、砂時計のようなものだ。」
 という言葉があったように記憶しています。

「時間は砂のように過ぎ去って、
 もう二度と元の場所に戻ることはないけれども、
その時間は、砂時計のように、確かにあなた自身のものとして蓄積されている。」
そんな趣旨ではなかったかと思います。

そう…、誰も私から奪うことができない「至福の想い出」。
毎年、バレンタインデーが訪れるたびに、
私は、あの時の幸せな気持ちに帰ることができます。
そして、これからも「蓄積された希望」を糧に、
生きていくことができそうな気がします。

それはそうと、肝心の手編みの膝掛けはどこに消えてしまったのだろう?