今月15日の朝日新聞「天声人語」の次の箇所を読んで、
県外で生活をしていた学生時代、
正確に言うと、当時の電話事情を懐かしく思い出しました。
『日進月歩のネット時代に、若者たちは育つ。
〈今までは「電話なんかで済ませるな」今では「せめて電話で話せ」〉と
千葉の高1郄橋誠哉(せいや)君は詠んだ。
山形の高2佐藤萌(めい)さんは
〈手のひらの中の小さな画面よりこっち見てよと言えぬ私は〉
毎年この時期に、東洋大学から「現代学生百人一首」が届く。
今年は、足早に過ぎる青春を三十一文字(みそひともじ)で切り取った
約5万5千首の応募があった。』
私が学生の頃は、
下宿先にあったピンク電話を利用するか、
近くの公衆電話を利用するしか実家への連絡方法はありませんでした。
そのため、電話を掛けるときは、
手にいっぱいの十円玉を用意する必要がありました。
時々、思い出したように実家に電話するのですが、
電話先の母の嬉しそうな声を聞くのが何よりも楽しみでした。
その当時は、今のように個々人が携帯電話を持てるような時代が来るなんて
想像だにしませんでした。
ですから、コラムに書かれている
「せめて電話で話せ」は、隔世の感がありますし、
「小さな画面よりこっちみてよ」は、ネット時代のある種の「怖さ」を感じます。
(ちなみに、「現代学生百人一首」には、
「現代人どの景色でも画面ごし真の感動知るよしもなし」という作品もありました。)
「スマホ」、「アプリ」、「SNS」で育ったこの若者たち、
そしてその次に続く孫娘が、私の年齢に達する頃には、
いったいどんな世の中になっているのでしょう?
これもさっぱり想像できません……。