漫画家で愛媛県にもゆかりのある松本零士さんが、今月13日に急性心不全でお亡くなりになったそうです。
今日の日経新聞一面コラム「春秋」は、その逝去を悼む、次のような内容のコラムでした。
『先日、実家の母から昔のアルバムなどを持ち帰るよう促され、段ボール一箱ほどの思い出の品を持ち帰った。
高校時代の名簿や、三日坊主で終わった日記などである。
そのなかに、中学の遠足の際、バスの車中で級友たちと歌った手書きの歌詞集を見つけた。懐かしい。
1970年代である。目的地までの道のり。好きな歌を持ち寄り合唱した。
荒井(松任谷)由実さんの「あの日にかえりたい」や
「『いちご白書』をもう一度」など当時のヒット曲があった。大人びた女子の選曲だ。
人気アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌もあった。「ワープ」「波動砲」など、作中の言葉がよみがえる。
作者の松本零士さんが旅立った。18歳の時、漫画で身を立てる覚悟を決め、九州から夜行列車で上京した。
車窓の闇を眺めていると、この世のものとは思えぬ美女が現れ、励ましてくれた気がした、と述懐している。
後の名作「銀河鉄道999」のメーテルの原型である。作品を通じ私たちにたくさんの夢を与えてくれた。
自慢の父親は、南方戦線に赴いた陸軍航空隊のパイロット。生還したが、多くの部下を戦地で失った。
自責の念を背負って戦後を生きた父の背中から多くを学んだ。
4畳半の部屋で夢を追う若者を描いた「男おいどん」から、
広大な宇宙を舞台にした作品に通底するものは、何だろうか。命の尊さや、愛なのかもしれない。』
県庁畜産課に在籍し、予算と庶務の担当係長をしていた頃、
当時住んでいた松山市山越の自宅に、松本さんご自身から電話がかかってきたことがあります。
「ある方(ある機関?)と連絡を取りたくて県庁に電話をしたところ、休日のため誰も不在で、
宿直の守衛さん(?)から、あなたの電話番号を教えてもらった」、確かこのような経緯でした。
(おそらく、休日夜間の緊急連絡先に、私の名前と電話番号があったのではないかと思われます。)
当時の畜産課(若しくはその地方機関)とどんな関係があって、どんなご用件だったか、
そして私がどんな受け答えをしたのか、
今となってはすっかり忘れてしまいましたが、間違いなくご本人からの電話だったと記憶しています。
「夢でも見ていたのか?」と言われそうですか、その時に最初に電話に出たのが娘だったので、
確かにあった出来事だと思っています。ことの詳細はどうしても思い出すことができません。
今日の追悼のコラムを読んで、著名な方と会話をしたという、まるで夢のような話が脳裏に蘇った次第です。
ご冥福を心からお祈りいたします‥‥。