朝日川柳の〈夏が好きされど昔の夏が好き〉という句に、
「何度もうなづいてしまった」というコラムニストのお言葉があり、
これを読んだ私も、その言葉に何度もうなづいた次第です。
三連休の中日の今日は、厳しい暑さとなりました。
エアコンの冷気が苦手な私は、
家のなかで少しでも涼しい居場所を見つけようとしますが、
それはむなしい努力に過ぎないことに気づくのに時間はかかりませんでした。
大きなため息をつきながら、
「昔の夏もこんなに暑かったかな?」と自問してみても、
明確な答えを記憶から思い起こすことはできません……。
ただ、子どもの頃、夏は大好きな季節でした。
生まれた今の場所も、そして、母の実家があった伊予市双海町も、
海に近いこともあって、夕暮れ時までその海で遊んでいましたから、
酷暑の記憶も薄いのかもしれません。私にとって、海は夏の同義語でした。
そして、寝転びながら新聞を読んでいると、
今日16日の日経新聞「文化欄」で、
ノンフィクション作家の星野博美さんが書かれた
『伯母を想う夏休み』というタイトルの随想の中に、次のような文章を見つけました。
『田舎……私にとってそれは、母の実家がある千葉県の外房の海を指した。
私の夏休みに、山の入りこむ隙はなかった。
とにかく、寝ても覚めても、何もかもが海だ。
母の実家は、歩いて海へ行けるところにあった。
私は年子の姉と、たいていは2週間、年によっては3週間ほど、
そこで過ごす習慣だった。そこで待っていてくれたのは、
母方の祖父と伯母夫妻だった。』
この文章の中の「千葉県の外房の海」を「伊予市双海町の海」に、
「年子の姉」を「5歳年下の弟」に、
「母方の祖父と伯母夫婦」を「母方の祖父母と叔父夫婦」に置き換えると、
私の子どもの頃の原風景になります。
やはり私も、夏休みに思いっきり遊んだ〈されど昔の夏が好き〉です……。