日経新聞で連載されていた「検証 東芝危機」を興味深く読みました。
連載記事の第2部は「不正の温床」というタイトルで、次のような文章から始まります。
『1965年以来、半世紀ぶりに外部トップに再建を託すことになった東芝。
かつて日本の財界をも背負った名門企業はなぜ道を踏み誤ってしまったのか。
最大の綻びは2015年4月に発覚した会計不祥事だ。
その奥底には過剰な名門意識や物言えぬ企業風土など根深い問題が広がっていた。』
第2部は第1回から第4回までので短い連載でしたが、
そのなかで特に印象に残った記述を、この日記に書き残しておきます。
・会社を重視し、組織と違う個別の異論や反論は封殺する。
・会社のため、事業部のため‥‥。
経営陣の「お墨付き」で利益かさ上げや損失先送りがはびこるなか、
社員たちの感覚は麻痺(まひ)した。
・トップが組織をゆがませたのか、組織がトップをゆがませたのか。
・トップも組織もプライドだけ高くなった。
トップは財界代表を目指し、「自分の代で赤字を出したくない」との意識を持ってしまった。
・財界総理、そして日立超え。名門復権への執着が行き過ぎた当期利益至上主義を生み、
不正会計の一因となった。歴代社長同士のライバル意識もこれに輪をかけた。
虚飾の構図は約10年にわたり隠し通された。
・見えてきたのは監査法人の限界だ。
監査法人にとって東芝は年間10億円超の監査手数料を得られる最重要顧客だ。
東芝の立場は強くなりやすい。「なぜ必要なのか」。監査法人が詳細な会計情報を求めても、
窓口の東芝担当者から逆に問い詰められることも多かったという。
数十人規模で送り込まれた会計のプロも目が曇った。
「東芝」という名門企業には、個人的にほろ苦い思い出があります。
昭和53年に大学4年生だった私は、
就職希望先の一つとして、当時人気の東芝を選び、採用面接に臨んだことがあります。
その結果は、早々と不採用‥‥。結局、一年留年の末、故郷愛媛で地方公務員になりました。
今から思えば、数多い人生の転機の一つであったように思います。
ふと、「人間(じんかん)万事塞翁が馬」という故事が頭に浮かびました‥‥。