今日、久しぶりに「かんべえ」さんの「溜池通信」のサイトを閲覧したところ、
先月28日に掲載の、「新型コロナウイルスへの個人的見解」というタイトルのレポートで、
次のようなことを書かれていました。
『‥‥2008年の金融危機と2011年の自然災害は、
同時代を生きた人の記憶に鮮明に残っているのではないかと思う。
いずれも先行きがサッパリ読めない「不透明性」に直面した体験である。
しかし企業経営というものは、何年かに1度はかならずこの手の問題にぶち当たるものである。
現在の新型コロナウイルスの急拡大は、おそらく3度目の試練として記憶に残るのではないかと思う。
経済学者のフランク・ナイトは、こういう状況を「不確実性(Uncertainty)」と命名し、
確率的に計算可能な「リスク(Risks)」と区別した。
企業はリスクへの対応には慣れていて、
損害保険やBCP(Business Continuity Plan)など、それを助ける手段もある。
ところが「不確実性」への対応は難しい。
しかし、この点に関するナイトの見解は、以下のように突き放した(しかし味わいのある)ものである。
完全競争の下では不確実性は排除できない
経営者が不確実性に対処する報酬が利潤である
筆者としては、こういうときは過去回の経験を頼りにするしかない。
古い読者はご記憶かもしれないが、
こういうときに本誌が使う格言の定番は「山より大きなイノシシは出ない」である。
感染症の拡大は世界経済に混乱をもたらすだろうが、
だからと言って過剰反応することも避けたいものだ。
不確実性に直面したときに、真に恐れるべきは恐怖そのものである。
ところが現状は既にそうなりかけていて、少々ヤバいのではないかと感じている。』
う~む、なるほど‥‥。「不確実性とリスク」ですか‥。勉強になります。
なお、「かんべえ」さんは、同じレポートの中で、
『これは原発事故の際にもあった話だが、日本の組織は頑丈な防御壁を作ろうとするが、
それが破られた時のプランを用意していない。
危険ゾーンと安全ゾーンを二分して、ついついそこで思考を停止してしまう。
島国の民には伝統的に、「 この島の中では安心・安全」と考えたいという誘惑が存在するようだ。』
と指摘されていました。
「危機管理に脆弱という国民性」は、反論することが難しい、とっても耳が痛いご指摘だと思います