今日の日経新聞文化欄に掲載された、社会学者・橋爪大三郎さん執筆による
「疫病の文明論(3) 緊急時の社会学」というタイトルの、次のような論評を読んで、
「公益性と補償」という難しい問題について、いろいろと考えるところがありました。
電気・水道・ガス・電話などライフラインは無傷だ。住居も物流も確保できている。
戦いは家にじっとしているだけでよい。企業や学校が休みでもひたすら我慢だ。
接触を8割減らしましょう。ライフラインは動かすので、ほかは9割減以上でないと8割にならない。
でも働かないと、生計が立たない。そこで所得を補償して家にいてもらう。
政府の措置でうまれた損失だからだ。補償は、景気対策でも経済の話でもない。
公益のため払ったコストへの埋め戻しにすぎない。そして補償はすぐ払うべきだ。
ただ財源を、税金で集めている暇がない。ならば赤字国債でまかなおう。巨額でも仕方ない。
それで生活でき、企業が破産しなければ、将来の回復への道筋がつく。
こんなことは経済学の教科書のどこにも書いてない。
でも欧米各国は、こうした政策を素早く打ち出した。わかりやすく市民に説明もした。
パンデミックにどう対応し、措置を取るのか、日頃から研究ずみだった。
補償は正しいのか。戦争被害は補償しない。自然災害も補償しない。古代からの慣習法だ。
だが外出制限は政府が決定したから政府の責任だ。公益のために憲法上の権利を制限し、損害もある。
補償するのが正しい。政府には感染症や経済の専門家がついている。
でも専門家は専門しかわからない。政府は感染と経済を両方踏まえつつ、公益を守る。
日頃の哲学の素養がものを言う。
財政規律が大事で赤字国債はよくない。平時の原則である。緊急時は別だ。
市民と企業が生き延びなければ明日はない。外出制限は厳格なほど短くてすむ。補償もする。
経済の話はその後だ。』
う~む‥‥。私には、今回のような緊急時において、何が正しい選択肢なのか、さっぱり分かりません。
でも、「市民と企業が生き延びなければ明日はない」というのは、至極当然のご指摘だと思います。
そうであるならば、選択肢は、「融資」、「協力金」、「助成金」、「給付金」、「補償金」‥‥。
これも「自粛」の解釈による違いなのでしょうか?
そして、橋爪さんが言われる「日頃の哲学の素養」って、どう理解したらいいのでしょう?
頭が混乱するばかりです‥‥。