昨日、そして今日と、家の中に居ても凍えるような寒さとなりました。
昨晩から塩抜きしていたカズノコの薄皮をとって、タレに漬け込む作業を黙々とこなしました。
父の大好きなこの二品だけは、我が家の正月料理に欠かせないものです‥‥。
さて、私が改めて言うまでもなく、今年は全世界が「危機の一年」となりました。
今年がどんな年だったのか、後から振り返るために、
日経新聞一面コラム「春秋」と朝日新聞一面コラム「天声人語」の、
それぞれ後半の文章を、この日記に書き残しておこうと思います。
『‥‥きょうで、そんな悪夢の1年が暮れる。
相変わらず未来は見えないが、新年はウイルスの誕生から足かけ3年。
夜明け前がいちばん暗いと胸に言い聞かせたいものだ。危うさを秘めながらも株価は年間16%上がった。
そこには数年先への期待がこもっていよう。どんな時代になるにせよ、戦いの「戦後」は必ずやってくる。
「コロナ」なる言葉は、なにもなかった昔の語感には戻れまい。
しかし、それでも「コロナ後」という言葉に
うんと伸びやかな雰囲気のただよう未来を、やはり夢見るとしよう。
歴史を顧みれば戦後日本の多くの制度は、じつは戦時下にスタートしている。
コロナ下で生まれるさまざまな挑戦も、歴史をつくるに違いない。』
『‥‥写真家の斎藤陽道(はるみち)さんは撮影の仕事がなくなり、
いつもどこかに出かけていた生活が一変した。
「何をしたらいいんだろう」と戸惑った末、荒れ放題だった庭の草をむしった。
そこにヒマワリの種を植えてみたと雑誌『ちゃぶ台』の秋/冬号に書いている。
そして始めたのが「定点観測写真」である。
ヒマワリは1歳半の次男の背を、そしてすぐに4歳半の長男の背を抜いていく。
撮り続け、咲いた花をぼんやりながめる。そんな数カ月を「よどむ日々を浄(きよ)めた時間」と表現した。
多くの人が否応(いやおう)なく定点を持つことになったのがコロナ生活なのだろう。
そこにあった小さな幸せは、家族が発したひと言だったか。
手にとった本や音楽だったか。思い起こす時間があってもいい。』
戦中と戦後間もなくの頃は、今よりももっと大変な世の中だったのでしょうね、きっと‥‥。
でも、振り返ると、今を生きる私たちも、
後世の歴史教科書に載るような、「危機の一年」を生き延びてきたのではないかと思います。
それでは、このつたない日記を閲覧いただいた皆さまの、つつがないご越年と、
来る令和3年が、皆さまにとって幸多き年となりますよう、心からお祈りいたします‥‥。