昨日の日経新聞オピニオン欄「核心」の、芹川洋一・論説フェロー執筆による
『なぜコロナに敗れたのか~「緩くバラバラ呑気」に原因』というタイトルの論評が、大変勉強になりました。
昔からずっと底に流れている日本人の「ものの考え方」をいいあらわした
「つぎつぎに なりゆく いきほひ」に対して、昨年来の新型コロナウイルスをめぐる日本の対応は、
自粛だのみで、対応は統一がとれず後手にまわっているという意味で、
「ゆるく ばらばら のんき」というフレーズにまとめられていました。
その趣旨は、おおむね次のような内容でした。
第一の「緩い」のは制度。欧州型は厳しい人権の制約と同時に、厳しい統制もあるが、
日本は法体系から、個人への規制も行政への統制も緩やか。
第二の「ばらばら」は運用の問題。90年代からの政治改革と省庁再編・内閣機能の強化をつうじて、
政府と自民党による二元体制をあらため、首相官邸に権力を集中するかたちを整えた。
しかしコロナの対応では、やはりうまく回らない。国と地方の関係もギクシャクしどおし。
第三の「呑気(のんき)」は人の問題。政治家の危機意識の欠如。
特措法の改正などにしても国会がなかなか動かなかった。
安倍内閣で安保法制をまとめ防衛上の危機への備えは一応進めたものの、
感染症にはまったく備えがなかった。
準備がないから対応はどうしても場当たり的になる。
最悪の状態を想定しそこから危機をいかに最小化し管理していくかに失敗する。
そして、芹川さんは、「ゆるく ばらばら のんき」の対義語として、
「きつく まとまり そなえる」というフレーズを提示されていました。
その意味するところは、私権の制限をある程度認める法体系に改めるのが第一で、
リーダーシップとチームワークで、一元的な権力の運用を徹底するのがその次、
三番目は危機意識をもったリスクコミュニケーション能力の高い政治指導者を養成していく、とのことでした。
そして、論評の最後では、れわれには明治維新という国家の危機を乗りこえた歴史があるとして、
「重要な判断基準は‥‥日本にとってもっとも重要な問題に、
もっとも優れた人材が、意思と能力のある人の衆知を集めて、手続き論や世論の支持は二の次にして、
取り組んでいるかどうか、ということである」という「明治維新の教訓」を紹介されたうえで、
次のように述べられていました。
『現状でどう考えても、そうなりそうにない。
とすれば明治維新のように、力量は未知数であっても一気に世代交代をして、
しがらみのない若いひとたちに国の将来をゆだねる。それしかないような気がしてならない。』
はぃ‥、1945年の敗戦、90年代の経済敗戦、そして3度目のコロナ敗戦を克服するためには、
「若い人たちに国の将来をゆだねる」‥‥。
ネットで検索すると、「明治国家建国の父」たちの明治改元(1868年)時の年齢は、
西郷隆盛42歳、大久保利通39歳、木戸孝允36歳、伊藤博文28歳、山県有朋31歳‥‥。
論評を読んで、「国家の劣化から脱却する」には、私もその方がいいような気がしてきました。