今日は、ご先祖様の霊をお迎えする「迎え火」を焚く日なのですが、
朝から雨が降り続いて、「今年はちょっと無理かも」と思っていたところ、
夕刻にその雨がぴたりと止んだ時には、ご先祖様の「摩訶不思議な力」を感じ取り、恐れ入った次第です。
‥ということで、無事に「お盆の恒例行事」を終えることができました。
ところで、今日の日経新聞「マーケット総合」欄の「大機小機」には、
「政治家は守れぬ約束するな」というタイトルで、次のようなことが書かれていました。
『‥‥東京五輪は家でテレビで見てくれ、などというのもむちゃな約束だ。
マラソン選手が家の近所を走ったら、沿道に出て手を振るのが自然な心情だろう。
本気で「ゼロ・コロナ」を目指すのなら、五輪は中止すべきだった。
開催するからには、ある程度の感染拡大は覚悟の上だろう。
それを「安心・安全」などとごまかすから嘘臭くなってしまう。
何しろ政治家には立法権がある。その気になれば、海外のようなロックダウンだって可能なはずだ。
私権の制限に伴う損失補償の制度も作ったらよい。
それ以前に、新型コロナのような感染症に際しては、
全国の自治体や保健所に対して政府の指揮命令系統を確立すべきだろう。
コロナ禍はもう1年以上になるというのに、そういう動きはついぞ聞こえてこない。
逆に彼らがお手軽な「お願い攻勢」に出ていることは、
それは守らなくてよい約束ということになるのではないか。
もっとお粗末なのは全国知事会の面々だ。
彼らは都会に行っている学生たちに、お盆には帰省するなと告げた。
自分たちさえよければいいと言うのだろうか。学生たちは故郷の裏切りを忘れないだろう。
ゆめゆめUターン就職など考えるべきではない。
子どもの目が親の身勝手を鋭く見抜くように、民はお上の愚かさを見切っていよう。
政治家にとって審判のときが近づいている。』
う~む‥‥。
「学生たちは故郷の裏切りを忘れないだろう」「ゆめゆめUターン就職など考えるべきではない」というのは、
ちょっと辛辣すぎる表現のように私には思えました。
都道府県民の生命を預かる知事にとっては、愛する郷土の出身者に対してだからこそ、
そうしたお願いをすることは、私には十分理解できます。
その際に大切なのは、やはり「政治家としての真摯な言葉」なのではないかと思いました。
身勝手かどうかは、「民」が賢明に判断するのではないでしょうか‥‥。