天気予報のとおり、午後3時過ぎから雨が降り出しました。
今は「雨雲レーダー」なるものもあって、ほぼ正確な予報が時間単位で得られるようになりました。
さて、今日で11月も終わりです。
朝日新聞デジタル版の無料会員は、月5本に限って有料記事を閲覧することができますが、
今月最後の1本は、一昨日28日の「日曜に想う」を選択することにしました。
その『新自由主義の終わりと性善説』というタイトルの記事を読んで、
オランダ人歴史家、ルトガー・ブレグマン氏(33)という人物の存在を初めて知りました。
記事には次のようなことが書かれていました。
『‥‥そのブレグマン氏の近著「Human Kind 希望の歴史(上・下)」が、日本でも出版された。
人間は生まれながらに利己的だという「常識」を崩し、性善説を証明しようとする試みである。
これまで「人間は悪」を象徴するとされてきた数々の出来事を調べ直し、
間違いや誤解などが判明したという。
「事件の真相」や「友愛の逸話」の積み上げで人間の本質が結論づけられるのかという疑問は残るが、
悲観的になりがちな現代人に欠けている視点かもしれない。
ブレグマン氏は今年2月、「サピエンス全史」で知られるイスラエルの歴史学者、
ユヴァル・ノア・ハラリ氏(45)とオンラインで対談した。
人類が地球を支配できたのは「虚構」を信じるからだとするハラリ氏は意外にも、
ブレグマン氏の同著を「人間という生き物の見方が変わった」と評価している。
対談でハラリ氏は、異議も呈した。
「数百万人規模の集団になったとき、あるいは地球の80億人がウイルスやパンデミックと闘う時に、
人間が友好的な性質だけで協力できるのかは疑問だ」
一方のブレグマン氏は、「楽観的すぎる」との指摘に、こう反論した。
「楽観と希望は異なる。楽観主義は一種の自己満足で、人を怠け者にする。
でも希望は、物事を変える可能性を示す。
私が歴史を好きなのは、いまの社会や経済の仕組みが宿命などではなく、
大きく変えられると教えてくれるからだ」‥‥』
う~む、なるほど‥‥。
恥ずかしながら私は、「性善説」といえば、「孟子」しか連想できませんでした。
確かに、「楽観と希望は異なる。楽観主義は一種の自己満足で、人を怠け者にする。
でも希望は、物事を変える可能性を示す。」という言葉には、説得力がありますよね‥。
一方で、性悪説ではないと思いますが、ハラリ氏の「数百万人規模の集団になったとき、
あるいは地球の80億人がウイルスやパンデミックと闘う時に、
人間が友好的な性質だけで協力できるのかは疑問だ」という言葉は、真理に近いものがあると感じます。
記事の最後では、執筆者の郷富佐子・論説委員が
「歴史は何を教えたのか。人間は善なのか。‥‥ずっと考えている。」と書かれていました。
利己的な私は、一度、ブレグマン氏の近著を読んでみる必要がありそうです‥‥。