しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

破局に備えた論争を今こそ

冷たくて強い風が吹き荒れた一日となりました。


さて、日経新聞「経済教室」で連載が続いていた「コロナ危機を超えて」は、今日がその最終回でした。

最終回は、『人新生の「資本論」』の著者、斎藤幸平・大阪市立大学准教授が、

『民主主義、気候変動でも試練』というタイトルの、次のような論考を寄稿されていましたが、

読んでいていろいろと考えるところがあり、とても勉強になりました


『‥‥1.5度目標のためには、緑の資本主義とは全く別の経済システムが必要になる。

 それがZ世代の「脱成長」という要求だ。だがこの転換は、個人の行動変容やESG

 (環境、社会、企業統治)のような市場のインセンティブ(誘因)では間に合わない。

 包括的な経済計画が必要だ。そして化石燃料が資本主義の根幹を成すからこそ、

 脱炭素への移行では全産業を網羅する強制措置が避けられない。

 「計画」と「強制」。嫌な言葉だ。

 だが戦争や恐慌、パンデミック(世界的大流行)のような危機の瞬間には、

 生存のために強い国家介入が要請される。コロナ禍でもロックダウン(都市封鎖)や入国規制が実施された。

 移動の自由を奪うなど不可能と思われた措置がとられた。

 私たちが「生きる」ために、一時的に、資本主義が「死んだ」瞬間だった。

 資本主義に緊急ブレーキをかける計画と強制が必要になるのは、気候危機でも同様だ。

 ここに生存と民主主義の緊張関係が生じる。

 手ぬるい対策しか打たれず気候危機が悪化したら、どんな統治が現れるのか。

 拙著「人新世の『資本論』」で論じたように、一つは中国型の「気候毛沢東主義」だろう。

 民主主義を犠牲にして脱炭素化に向けた規制や計画を実施する。

 コロナ対応と同様、独裁が効率的な対策として要請される。

 もう一つの道は、欧米式の「気候ケインズ主義」だ。

 だが市場経済重視の対策は不十分な成果しか残せない。

 地球環境の劣化が進み、自然災害が襲い、脆弱な途上国は政情不安になり、気候難民が増える。

 世界的な食糧危機や資源争いで国際秩序はさらに不安定化し、供給力は下がっていく。

 慢性的な物資不足が生じれば、分配もできなくなり、インフレが進行する。

 現在進行中のインフレはそのリハーサルといえる。

 インフレの影響が直撃するのが低所得者層だ。その不満と怒りはリベラルエリートと移民に向かう。

 事実、欧米ではマリーヌ・ルペン氏のような極右勢力が気候変動対策として移民排除を掲げる。

 結局、気候ケインズ主義は敗北し、エコファシズムの脅威が高まる。

 つまり中国と欧米、どちらの道もやがて「上からの統制」による全体主義に帰着する。

 全体主義を避けながら進む道はないのか。気候変動との「戦争」では計画と強制が必要だとしても、

 それが「上からの統制」ではなく、危機を認識した民衆がよりましな強制措置を国家に求めるという道だ。

 コロナ禍で大衆が移動の自由よりも緊急事態宣言やロックダウンを支持したように。

 それが独裁に陥らないよう私たちが監視するしかない。

 哲学者スラヴォイ・ジジェク氏は、このいばらの道を「戦時コミュニズム」と呼ぶ。

 この言葉が喚起する否定的イメージは百も承知だ。

 それでもあえて使うのは、危機を打開する道がいかに困難かを示すためだ。‥‥』


う~む、なるほど‥‥。

気候危機が悪化したら、中国型の「気候毛沢東主義」か、欧米式の「気候ケインズ主義」という

二つの統治形態が現れるのですか‥‥。

どちらの道を選んでも、やがて「上からの統制」による全体主義に帰着するというのは、不気味ですよね。


斎藤准教授は、論考の最後に、

「今、地球が燃えている。そんな緊急事態で非常口を見つけるのは並大抵のことではない。

楽観主義を捨て、人新世の破局に備えた論争を今こそ始めるべきだ。」と述べられていました。


「ゆでガエル」状態の私たち国民一人ひとりは、破局に備えて、

「論争」以外の手法としては、具体的にはどのような行動をとるべきなのでしょう‥‥?