『千夜千冊エディション 資本主義問題』(松岡正剛著:角川ソフィア文庫)を読了しました。
松岡さんの「感想」が書かれた箇所を、いくつか本書から抜き出してみました。
・ぼくは複式簿記が広がった理由のひとつとして、この記帳性には一種の哲学あるいは神学が伴っていて、
それがメディチ家重視の人文主義や新プラトン主義の実践とみなされたからではないかと思っている。
記帳が「聖なる行為」とみなされたのだ。(ジェイコブ・ソール「帳簿の世界史」)
・ぼくはこの歌(久保田早紀の「異邦人」)を聞くたび、無名の異邦人になるということって、
ひょっとすると市場の本質なのではないかと思っている。
(ゲルト・ハルダッハ&ユルゲン・シリング「市場の書」)
・最後に一言、ケインズをたんに「偉大な経済学者」だと見のはしたほうがいい。
経済社会の聖像をめざしたとも見ないほうがいい。
たんに「ノブレス・オブリージュ」の実践とか体現だったと見るのも、どうか。
むしろケインズには資本主義をどこかで嫌悪する心性が根付いていたというほうが
当たっているように思う。(ジョン・メイナード・ケインズ「貨幣論」)
・そもそもケインズはジョン・ロールズやマイケル・サンデルが重視している
「正義」などということより、「心の状態」の不確かな「ゆらぎ」のほうに関心をもっていたのではないか。
ぼくはケインズを読んでも、本書を読んでも、つくづくそういうことを実感した。
ケインズはしょせんは契約社会の改善などを構想していなかったと言うべきなのである。
(ロバート・スキデルスキー「なにがケインズを復活させたのか?」)
そして、松岡さんは、「追伸 資本主義の船から降りられるのか」のなかで、
次のようなことを述べられていました。
『ぼくがどんな見方をしているかということは随所に滲み出ていると思うけれど、
ジョージ・ソロスを好意的にとりあげていること、ヴィルノとカリニコスの論法を
おもしろがっていることから、いろいろ察知していただきたい。
資本主義は化け物ではあるが、われわれの知覚と認識と生活形態がことごとく投影されたまま、
あらゆる場面に酸性雨のように降り注いでいる。濡れすぎないようにしたくとも、傘がない。』
はぃ、正直な感想として、本書を読んで、とても勉強にはなったものの、
むしろ頭が混乱して、「資本主義」というものの「正体」がさっぱり分からなくなりました。
松岡さんご指摘のように、資本主義は「化け物」なんですね、きっと‥‥。
最近、「ポスト資本主義」とか「新しい資本主義」とか言われているけれど、
そもそも「資本主義」とは何か、私には全く理解できていないことが、本書を読んでよく分かりました。