「ウクライナ侵攻の正体」というタイトルの論評を寄稿されていました。
そこには次のようなことが書かれていました。少々長くなりますが引用させていただきます。
『‥‥プーチンを駆り立てている欲望の正体をひと言でいえば「統一」による一元的世界の構築にある。
その夢に肥やしを与えたのが、「ユーラシア主義」だった。
かつて社会主義の理念に結ばれた同胞国を、統制経済と正教のもとに一元化し、
西欧でもアジアでもない、独自の精神共同体として再創造する。
そこには、数々の歴史的苦難(とくに独ソ戦)を耐え抜いてきた国家の
本源的力に対する危険な「信仰」が脈打っている。
そして「統一」の幻想にとって最大の障碍が、血を分けた兄弟国ウクライナだったわけだ。
兄弟どころか、歴史的には、母に近い存在といっても過言ではない。
思うに、この「母」をとり戻す夢が、妄執と化した。
今となって、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大に対する恐怖は、
(少なくとも私の耳には)口実のようにしか響かない。
それよりも、精神的共同体の夢、その盟主(=救世主)として君臨する夢を潰されるほうが、
はるかに怖かったのではないか。
しかも、半ば退路を断たれた彼が求めうる唯一の免罪符は、まさにその夢の実現にしかないのだから。
では、なぜ、この、時代錯誤的とも思える彼の執念に対し、批判の声が高まらないのか。
権力による復讐のを恐れるからだろうか。たしかにそれもある。
しかしその恐怖には、根深いロシアの闇が潜んでいるように思えてならない。
キリスト教受容以後千年の歴史の間に培われた、受苦の精神。
厳しい自然と広大な土地に生きる彼らの魂には、
当然のことながら、共生とサバイバルのための知恵が刷り込まれた。
圧制に対する驚くほどの「寛容」がその証である。
圧制に対する不満は、一口話の笑いのなかに自足的に回収された。
思うに、プーチンに取りついた「悪霊」は、まさにこの、受動的な精神性のうちに胚胎したのだ。‥‥』
う~む、なるほど‥‥。
根深いロシアの闇とは、「受苦の精神」にあったのですか‥。
これってたしか、亀山先生がご専門の、ドストエフスキーの「世界観」ですよね。
この精神性のなかでは、ロシアではプーチン批判の声は高まらないのですね。
また、圧制については、「寛容」というより「諦観」のほうが、私には理解しやすいような気がします。
ところで、ポッドキャスト「歴史を面白く学ぶコテンラジオ (COTEN RADIO)」で、
「【特別編 緊急収録】ウクライナとロシア」の視聴を、今日ようやく終えました。
全六回シリーズで合計5時間20分弱の大作、力作です。
とにかく内容が素晴らしく、とても勉強になりました。
ウクライナとロシア、それぞれの歴史や、世界での立ち位置などが理解できたと思います。
ぜひ一度、視聴されることをお勧めします。