しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

巨大なものには向かない星

今日は町立図書館に行って、3月5日(土)から3月11日(土)までの

朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。


この一週間で印象に残ったのは、、3月9日(木)と3月10日(金)でした。

いずれも、ジャーナリスト・むのたけじさんの「ことば」です。

まず、3月9日(木)は、

「大きく見える問題に直面したら、形の大きさにおびえるな。」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『戦時中の記者としての活動に強い責任を感じ、敗戦の日に退社したジャーナリストは、

 「そこにある小さいもの、弱いもの、薄いもの、軽いものに注目せよ」と続ける。

 無数の動植物を養ってきたのも地表の微生物たち。地球は「巨大なものには向かない星なんだ」とも。

 武器を持つ人が一人もいなければ戦争だって起こりようがない。

 「老記者の伝言」(聞き手・木瀬公二)から。』


はぃ、「山より大きい猪は出ない」(本来は「誇張にも程がある」という意味ですが、

私は「大きな困難でもきっと乗り越えられる」と理解しています)と、

意味するところは同じという理解でよかったのでしょうか‥?

そして、「武器を持つ人が一人もいない」世界は、この「巨大なものには向かない星」で、

果たして実現できるものなのでしょうか‥? ほとんど絶望的に思えるのですが‥‥。


追記

今日の日経新聞一面コラム「春秋」は、郷土が生んだ偉人・大江健三郎さんの逝去を悼む内容でした。

その全文を次のとおり引用させていただき、この日記に書き残しておこうと思います。

『四国の谷間の村と森。訃報が伝わった大江健三郎さんは、

 生まれ育った愛媛県内子町大瀬地区を多くの作品の舞台とし、感性のよりどころともした。

 1992年に出版した講演集「人生の習慣(ハビット)」には、文学生活で幸運だったこととして、

 こんなふうな一節が残っている。

 敗戦という出来事や大学で導いてくれた仏文学者の思想が、

 自分の生まれ育った周縁の谷間のものの考え方、宇宙論、人間観などを再確認させてくれるものだった―。

 戦後民主主義という翼に加え、自由な読書と想像力というエンジンで高く舞った大江少年は、

 やがて時代の閉塞状況を粘っこいスタイルでえぐっていく。

 核がまん延する世にあり、障害を持って生まれた息子との共生を模索し続けた。

 一方で、変革を目指すコミュニティーの運動と挫折を、ダンテら世界文学を引きつつ繰り返し描いた。

 山口昌男さんとの交流から文化人類学の知見も得て、作品の視座は地球規模に。

 現実と神話の混交を描く文体の緊迫度は、さらに高まった。

 家族との日常や自らの交友関係から生の哀歓をつづる短編でも、英国の詩人らを自在に引用し、

 旧来の私小説の枠を押し広げた。谷間の村という小宇宙の文化が、

 ノーベル文学賞に値する普遍性を秘めることを証した作家生活でもあったろう。

 88歳の生涯を終えて、その魂は懐かしい四国の森の木の根方へと戻っていった。』