昨日は、孫娘と一緒に町立図書館に行って、3月26日(日)から4月1日(土)までの
朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。
この一週間で印象に残ったのは3月31日(金)、石垣りんの
「さみしかったら、どのくらいさみしいか耐えてみて、さみしくゆたかになろう」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『半世紀前のこと、「ススキの穂のように白髪を光らせながら一歩退いた場所で世の中の背景をなす」、
そんな老境を迎えにくい時代になったと詩人は記した。
人々が「必要度の減った人間」として自身を感じ、死に急ぐような社会はご免だと。
孤独の賑わいを知った後、誰かと茶飲み話でもしながら「連帯」を探ることなく探っていけたらいいと。
随想集「ユーモアの鎖国」から。』
う~む、なるほど‥‥。「一歩退いた場所で世の中の背景をなす」ですか‥。
これが「さみしくゆたかになる」ということなのかな?
ぜひ私も、そのような老境を迎えたいものです‥‥。
追記
今日、父が松山市内の病院を退院して、元の特別養護老人ホームに帰りました。
退院に際しては、私・妻・孫娘・弟夫婦、そして特養の職員の方、総勢6人で、
今後の生活上の注意点などを先生からお伺いしました。
約40日ぶりに会えた父は、すっかり痩せ細っていました。誰が誰だか分からないような素振りもありました。
慣れ親しんだ施設で、気力と体力が回復することを祈るばかりです‥‥。