しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

人間はつねに成るもの

曇り空が続いて、寒い一日となりました。

ただ、今朝、氏神神社の清掃のお務めを果たしたので、気分は爽快です‥。


さて、日経新聞で連載が続いていた黒田東彦・前日銀総裁の「私の履歴書」は、今日が最終回でした。

連載の最後を黒田前総裁は、次のような言葉で締めくくられていました。


『‥‥最後に、若者や後世代の人に伝えたいことがある。経済は生き物であり、絶え間なく変化する。

 さらに、数年に1回ほどは予想しなかったショックにも見舞われる。

 半世紀以上の公職で私が関わった経済的なショックは、数えたところでも11回もある。

 その際にはどうするか。極力早く事態を把握するとともに、内外の過去の事例に学び、

 思い切った対応策を素早く決断して実行する必要がある。

 リスクを恐れて優柔不断であることは、事態を悪化させるばかりである。

 さまざまな政策現場で培った私の経験が、何かの役に立つことを心より願っている。』


この言葉は、新町長にも読んでほしいと思います。

12月11日から始まる新町政は、黒田前総裁がご指摘の経済と同様に、幾多の困難に遭遇すると思いますが、

「極力早く事態を把握するとともに、内外の過去の事例に学び、思い切った対応策を素早く決断して実行する」

このことを心掛けてほしいと願っています。


これからは、昨日の続きです‥。

11月21日(火)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、和辻哲郎

「人間の成り方、それを我々は「存在」という概念によって現わそうとする」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『個人は「もの」として何か実体のようにあるのではなく、さまざまな行為の重なりや連なりの中にある。

 だから人間はつねに成るものだと、哲学者は言う。

 英語のビーイングや独語のザインとは違って、「存」は「忘失」に対する保持を表し、

 「在」は去るのとは逆に、ある社会的な場所に居ることを表す。

 そのように去来する動的なものとして人はあると。「倫理学」から。』


う~む、なるほど‥‥。「人間はつねに成るもの」ですか‥。

「存在」という言葉が、急に私の中で「存在感」を増してきたように感じます‥‥。