午後から雨が止んだので、久しぶりに「西の浜」に立地する「漢方薬草湯・元気人村」に行って、
汗を流してきました。平日なのに浴室内は意外と混雑していました。
建物や設備も老境化し、お世辞にも快適とは言えないけれど、何が人を惹きつけるのかしら‥?
さて、昨日の続きです‥。
6月22日(土)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、大澤真幸さんの
「先生の存在が、〈問い〉だからである。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『何かを知ろうとすれば問いを立てなくてはならない。
そして良く問うには先生が必要だと、社会学者は言う。
正解を先に手にしている人ではなく、より深い未知に身を開いてゆける人として。
人生の意味は何かある目的の達成にあるのではなく、日々の歩みの在りように懸かっている。
実際、教わった知識はまたたく間に忘れても、先生の背中は忘れない。「私の先生」から。』
なるほど、「先生の存在が〈問い〉」「よく問うには先生が必要」ですか‥。
私の場合は、「教わった知識」も「先生の背中」もすっかり忘れてしまいました。先生、ゴメンナサイ‥。
「人生の意味は何かある目的の達成にあるのではなく、日々の歩みの在りように懸かっている」
という言葉を指針にして、余生を歩んでいきたいものです‥‥。