今日から日経新聞「文化欄」で、「孫たちの戦後70年」の連載が始まりました。
戦後70年続いた日本の「平和」について、
戦争体験者の孫世代は、その実相をどう見、描いているのか、
創作者・批評家に聞くというのが今回の企画のようです。
その第1回目に投稿されたのは、
「街の風景の移ろいを戦後社会の変化と重ねながら小説を書いてきた」という、
記事を読んでいて、いくつか印象に残った言葉を見つけました。
・「わたしは、かつて誰かが生きた場所を、生きていた」
(「わたしがいなかった街で」という小説の主人公のセリフだそうです。)
・人間は現在だけを生きる存在ではない。
時空を超えて過去の人と心を通わすこともできる。
それを仲立ちしてくれるのが「長い時間を積み重ねてきた街の風景」だ。
・「壊して新しくすれば何とかなるではなく、
今あるものを生かしながら街を作っていく方法があるはず。
100年前に生きた人のことにも、
100年後に生きる人のことにも思いをはせることができるのが風景であり、
小説だと思う。
「街の風景の移ろい」とえば、
私は今、家は新築したけれど、「自身が生まれた場所」で生活しています。
記憶の片隅にある「我が町の風景」は、自宅周辺の田園風景です。
小学生の頃、田んぼの畦道を通って祖母のお墓参りに母と出かけました。
家からお墓まで建物という建物はほとんどなく、
子どもの足では当時、随分遠かったような記憶があるけれど、
今は、その田んぼを国道が横断し、
国道沿いには全国チェーンのお店が軒を連ねています。
目に見える「町の風景」は変わったけれど、
私も「かつて誰かが生きた場所」を「今、生きている」のだと
記事を読んで思いました。
今月25日に4歳と5か月になった孫娘が、
今から50年後に見る「私の町の風景」はどのように映るのでしょうか?
「あぁ、あの時、あの場所に、確かにグランパがいたなぁ~……」
と思い出してくれれば有難いです。